曲がった障子の朝

 美濃部岳人は、建築設計事務所で「水平」と「垂直」を守ってきた。

 図面の線は正確で、模型の角は直角だった。けれど会議では、誰かの一言で半年分の案が消える。岳人は次第に、建物より人の顔色を測ることに疲れた。

 移住先に選んだのは、かつて養蚕をしていた大きな古民家だった。

 二階の窓は広く、障子はほとんど破れている。岳人はレーザー水平器を持ち込み、枠の傾きを測った。

 右へ七ミリ、奥へ四ミリ。

「全部直すなら、柱からだね」

 手伝いに来た左官職人が言った。

「直せますか」

「家を若返らせるより、今の歳に合わせた方が早い」

 岳人は納得できず、一枚目の障子枠を削った。

 削っても合わない。上を合わせれば下が開き、下を詰めれば滑らない。古い家全体が、長い年月をかけて少しずつ地面へ馴染んでいた。

 職人は薄い木片を差し、枠をわずかに曲げた。

 障子は音もなく閉まった。

「曲げるんですか」

「曲がった場所には、曲がった答えがある」

 二人で和紙を張った。

 岳人は皺を恐れ、糊を均一に塗ったが、最後の一枚だけ風が入り、中央に小さなたるみができた。

 貼り直そうとすると、職人が止める。

「朝になって光を見てからでいい」

 翌朝、東の空が明るくなると、障子のたるみへ柔らかな影が落ちた。

 真っ平らな紙より、そこだけ光が濃く、雲のように揺れている。岳人は床へ座り、しばらく見ていた。

 都会では、誤差は消すものだった。けれどこの影は、消せば部屋から何かが減る気がした。

 岳人は一階の土壁も、割れをすべて隠さずに塗った。

 古い層が少し見えるよう、端を残す。訪ねてきた村の人は「前の家の色も生きてる」と言った。

 それから岳人は、修繕の相談を受けるようになった。新しく見せるのではなく、今ある傾きと付き合う方法を一緒に考える仕事だった。

 冬の朝、曲がった障子から白い光が入り、囲炉裏の湯気を照らした。

 米糊と畳、沸かした番茶の匂いが混じる。

 岳人は水平器を棚へ戻し、紙のたるみへ手をかざした。直さなかった一枚が、家の中でいちばん静かに朝を受け止めていた。