最後の空白

黒板を埋める係は、いつの間にか皆川瑞希になっていた。

「字がきれいだから」とチョークを渡され、みんなが口々に言う言葉を書いた。

〈三組、永久不滅〉

〈遅刻王、大学では起きろ〉

〈購買の焼きそばパンに感謝〉

本人が書けば乱れる冗談も、瑞希の字になると卒業文集の見出しみたいに整った。書き間違えるたび、濡らした雑巾でそこだけ消す。指先は赤や青に染まり、爪の間まで卒業色になった。

一人が言い終えるたび、瑞希は空いている場所を測り、色を選んだ。赤、黄、青、白。黒板は賑やかになったのに、右下だけ、葉書ほどの空白が残った。

「そこ、何書く?」

稲見叶多が聞いた。

「最後に来た人の分」

「全員いるよ」

見回すと、本当に全員いた。欠席の多かった生徒も、保健室登校だった生徒も、今日は教室のどこかで笑っている。

瑞希はチョークを置いた。

瑞希はふと、入学初日に座席表を書いたのも自分だったことを思い出した。あの日は誰の顔も知らず、名前だけを黒板へ並べた。今は一つ書くごとに声や癖まで浮かぶ。

三年間、学級日誌も掲示物も、誰かの送別カードも、彼女が清書した。頼まれた言葉をきれいに残すのは得意だった。自分の言葉を置く場所だけ、いつも後回しになった。

叶多は右下の空白を指さした。

「じゃあ、皆川の分」

「私も書いてるよ。全部」

「それ、みんなの分」

帰る支度をしていた生徒たちが、いつの間にか黒板の前を空けていた。瑞希は白いチョークを持つ。卒業らしい言葉を考えるほど、手が止まった。

やがて、葉書ほどの空白へ四文字だけ書いた。

〈ここにいた〉

誰かが「短い」と笑い、別の誰かが「それで十分」と言った。

叶多はその下へ日付を書き、丸で囲んだ。

写真を撮る瞬間、瑞希は黒板の端ではなく中央へ呼ばれた。背後の文字はほとんど隠れたけれど、右下の四文字だけは肩越しに残った。

帰宅して手を洗うと、色は流れたが、白い粉だけが掌のしわに残った。瑞希はすぐには落とさず、スマートフォンで撮った。そこに文字はない。それでも、あの日みんなの言葉を持っていた手だと、自分にはわかった。

翌日、黒板は消された。

それでも写真を見ると、瑞希は自分が書いたどの言葉より先に、その小さな証明を見つけられる。