未送信郵便受け
名取朱音の郵便受けには、送らなかった手紙ばかり届いた。
母へ書いて消した愚痴。元恋人へ送れなかった別れの理由。上司への退職相談。スマートフォンの下書きが、白い封筒になって毎朝三通ずつ入っている。
〈封馬不動産〉の封馬葉月は、鮮やかな青いコートを着ていた。相談机には、同じ青色の返送印がある。
「宛先不明で返します」
葉月が一通へ印を押すと、封筒は紙吹雪になって消えた。
「全部お願いします」
「開封確認が先です」
「自分で書いたものです」
「書いた本人ほど、読んでいません」
朱音は渋々、一通ずつ確かめた。大半はもう送る必要のない言葉だった。葉月は内容をのぞかず、朱音が頷くたび青い印を押す。机の端には、返された封筒の数だけ小さな紙吹雪が積もった。
最後の一通には宛名がなかった。
『あの夜、電話に出られなくてごめん。面倒だと思ったんじゃない。何を言えばいいか分からなくて、怖くなった』
三年前、親友から深夜に着信があった。朱音は仕事で疲れ、翌日かけ直せばいいと思った。親友はその翌週に街を離れ、連絡先も変えた。共通の知人から、婚約を解消したらしいとだけ聞いた。
「これも返してください」
「どこへ?」
「消してください」
「それは返送ではなく、廃棄です」
葉月は青い印を持ち上げたまま、朱音を見た。
「送るべきだったと思いますか」
「当社は郵便局でも裁判所でもありません」
冷たい返事だった。けれど葉月はパソコンを朱音の側へ向け、古い友人の公開ページをそっと表示した。住所は分からない。だが、メッセージは送れる状態だった。
「遅すぎませんか」
「郵便受けは、遅さを理由に受け取りを拒みません。受け取るかどうかは、相手が決めます」
朱音は手紙を写し、最後に『返事はいらない。今さらでごめん』と加えた。葉月はそこだけ指で隠した。
「返事を求めないことと、相手の返事を先に決めることは違います」
朱音は一文を消して送信した。
翌朝、郵便受けには例の封筒が一通だけあった。青い印で『配達済』と押され、スマートフォンには短い返信が届いていた。
『読んだ。私も連絡できなくてごめん。今度、昼に話そう』
朱音が事務所へ報告すると、葉月は青いコートの袖についた紙吹雪を払った。
「宛先不明で返します」
「今回は届きました」
「ええ」
葉月は返送印を逆さに置いた。底には、小さく『差出人へ』と刻まれている。
「返すのは手紙ではなく、送るかどうかを決める権利です」