机の傷は持っていけない
榧野の机には、左上に三本の傷があった。
一本目は、一年のときコンパスを落とした跡。二本目は、テスト中に爪で引っかいた跡。三本目は、隣の席と机をぶつけたときについた。
転校の前日、榧野はその傷を紙へ写し取ろうとした。
白い紙を置き、鉛筆を寝かせてこする。木目は浮かぶのに、肝心の傷は薄い。力を入れると紙が破れた。
「何してるの」
掃除当番の女子が箒を持って立っていた。
「持っていけないから」
「机を?」
「傷」
「傷なんか、向こうでもつくよ」
「同じのは無理」
女子は箒を置き、自分の机を引きずってきた。天板を見せる。右端に、丸いへこみが一つあった。
「これ、榧野がつけた」
「知らない」
「消しゴム投げたとき」
「あれでへこむ?」
「心の傷」
「木の話してる」
二人で笑った。
女子は油性ペンを出し、榧野の紙へ三本の線を描いた。
「これでいい」
「形が違う」
「記憶だから正確じゃなくていい」
「雑だな」
「じゃあ、机ごと持っていけば」
「引っ越し代、払って」
「傷だけ切る?」
「学校の備品」
話しているうちに、ほかの掃除当番も集まった。誰かが自分の机の傷を探し始めた。ボールペンの跡、彫りかけの名字、ガムを剥がした白い斑点。
榧野の紙には、いつのまにか皆の傷が描き足されていた。
どれが自分の机の線かわからなくなる。
最後に、担任が教室へ入ってきた。
「机に落書きするな」
「紙です」
「ならいい」
担任は赤ペンで、紙の隅へ一本だけ線を引いた。
「先生の傷?」
「お前らに増やされた眉間のしわ」
榧野は紙を四つに折った。
転校先で開いたとき、鉛筆の粉が手についた。描かれた線は擦れ、何本か消えていた。
新しい机は傷一つなく、表面が冷たかった。
榧野は例の紙を天板へ置き、その上から教科書を開いた。授業中、消しゴムが落ち、拾うときに机の角へ腕をぶつけた。
新しい小さな傷が一つ増えた。
榧野は紙へは写さなかった。
持っていけないものがあるなら、行った先でまた増やせばいいと、初めて思えた。