水鏡から上がる最初の稲穂
水術師エステルは、王都の噴水を枯らした罪で追放された。
本当は貴族街へ水を回すため、下町の水路を止める命令を拒んだだけだった。
行き着いた辺境には、山の雪解け水と、誰も耕さなくなった湿地があった。
春には泥へ足を取られ、夏には蛙の声で眠れなかった。水位を一指ぶん変えるだけで苗の顔色が違う。王都の大水路より小さな田なのに、そこには命令書では測れない細かな答えが毎日あった。
秋の朝、湿地は小さな田へ変わっていた。
風が渡ると、黄金の穂が水鏡の上で一斉に頭を下げる。
けれどエステルが刈るのは、岸に近い一列だけだった。初めての日に全部を手に入れなくていい。今夜の椀一杯があればいい。
鎌で茎を切る。ざく、ざく、と湿った空気に音が残る。
束を抱えると、日に温められた藁の匂いがした。
刈り跡へ小鳥が降り、落ちた籾を一粒ついばんだ。エステルは追い払わなかった。最初の収穫を祝う客が一羽くらいいてもいい。
足元の泥は冷たい。王宮の大理石より、ずっと確かに彼女を支えている。
刈った稲を小屋の前で打ち、籾を落とす。木臼で少しずつ殻を外すと、白ではなく淡い金色の粒が現れた。
鍋へ一合だけ入れ、山水を注ぐ。
火にかけたところで、青い水鳥が窓へ封書を落とした。王都水政局の紋章だった。
『噴水群停止。帰還し、水路を復旧せよ』
エステルは表書きを読み、封を切らずに棚へ置いた。
鍋の蓋がかすかに鳴り始めていた。
火を弱め、待つ。
やがて蓋を開けると、白い湯気が顔を包んだ。炊けた米の甘い匂いと、薪の煙が混ざる。
塩漬け魚を炙れば、皮がちりちり縮み、脂が炭へ落ちて香ばしい煙を上げた。
最初の一匙を口へ入れる。
粒は少し硬い。それでも噛むほど甘くなり、胸の空いた場所を静かに埋めた。
水鳥が窓を嘴で叩く。
「都の噴水は、朝まで待てるでしょう」
エステルは魚をほぐし、二匙目の米へ乗せた。
水を誰へ流すか命じられていた日々は終わった。今夜の水は、彼女が育てた一列を炊き、彼女自身を温めている。
王都の印章より先に、鍋の底で小さなお焦げがぱりりと剥がれた。