海辺亭の白い泡

 海辺亭の名物は白身魚の焼き物だった。だが領主の視察日に限って、魚が痩せ、皿が貧相に見えた。

 不漁で仕入れは予定の半分。視察の目的は、領主軍の食堂契約をどの宿へ与えるか決めることだった。競合の宿は厚い肉を準備している。海辺亭が小さな魚を出せば、その場で候補から外れる。流れ者の冴は、昨日まで皿洗いさえ断られていた。

「厚く見せるために二枚重ねろ」

 亭主は命じたが、二枚では人数分が足りない。厨房へ流れ着いた綿貫冴は、前世で洋食店の調理人だった。

 冴が手に取ったのは卵だった。厨房には魚料理で余った卵白が桶に集められ、使い道がないとして捨てられるところだった。冴はその桶を指し、一尾につき卵白一個分だけ使うと告げる。新しい高級食材を買う余裕はないが、捨てる材料なら人数分あった。

「魚に卵焼きを載せるのか?」

 亭主は眉をひそめる。冴は卵黄を使わず、白身だけを鉢へ入れた。泡立て器などないので、細い枝を束ね、腕が痺れるまで打つ。透明な液体は白い泡へ変わり、鉢を傾けても落ちなくなった。

 使った知識は一つ。卵白は空気を抱かせれば、火を入れたときにふくらむ。

 泡へ塩と刻んだ海藻を混ぜ、薄い魚の上に山形に載せる。窯へ入れると、白い山がさらに持ち上がり、表面だけが淡い金色になった。

 領主の皿へ出されたそれは、痩せた切り身の三倍の高さがあった。見せかけだけではない。泡の細かな穴が魚の蒸気を抱え、乾きやすい身をしっとり保っている。ナイフを入れると白い層が戻り、皿の上で潰れなかった。

 競合宿の厚い肉は冷めると脂が固まったが、冴の皿は最後の一口まで軽い。領主の副官まで、空いた皿を名残惜しそうに見た。匙を入れると、ふわりと湯気が抜ける。泡は軽く、下の魚の塩気を受け止めた。

 領主は一口食べ、皿を横から眺めた。

「魚は増えていないな」

 亭主が青ざめる。

「はい。卵白一個分だけです」と冴。

「ならば、同じ魚で客を二倍喜ばせられる」

 厨房では、二枚重ねにするはずだった魚が半分残っている。領主は残りを見て笑った。

「今夜の兵舎にも出せ。百皿注文する」

 亭主は急いで冴へ前掛けを差し出した。それは流れ者用の茶色ではなく、海辺亭で料理を任される者だけが締める白い前掛けだった。