涙が幽霊になる令嬢の夕焼けプリン
菓子店〈黄昏匙〉の最後の席に、令嬢ヴィオラは背筋を伸ばして座った。
「泣かなくて済む菓子をください」
母を亡くして三月、一度も涙を流していない。冷たい娘だからではなかった。彼女の涙は地面に落ちると幽霊になり、泣き声を上げながら屋敷をさまよう。葬儀の日に一滴こぼしただけで、夜通し十人分の声が響いた。それ以来、悲しくなるたび爪を掌へ立て、涙を止めてきた。
黒い手袋の内側には、三月分の爪痕が残っていた。屋敷では泣かない強さを褒められたが、母の部屋だけが片づけられない。悲しめば迷惑をかけ、笑えば忘れたと思われる。そのどちらにも進めず、ヴィオラは毎晩、涙が喉へ戻る苦さだけを飲み込んでいた。
店主オルフェは「泣かなくて済むもの」は出さなかった。代わりに、橙色と紫色の二層になった小さなプリンを置いた。
「夕焼けプリンです。涙を止めるのではなく、一滴だけ、静かに終わらせます」
「一滴でも幽霊になるのです」
「だから、菓子の上へ落としてください」
ヴィオラは帰ろうとした。しかし表面の蜜が、母の好きだった夕空の色に似ていた。銀匙を入れると、柔らかな層が揺れる。卵の温かい甘さと、葡萄の淡い酸味。二口目で、張りつめていた喉がほどけた。
「おいしい」
その言葉と一緒に、右目から涙が一滴落ちた。
プリンの上で小さな人影が立ち上がる。ヴィオラは身を固くした。だが幽霊は泣かなかった。夕焼け色の湯気になり、匙の先で一度だけ手を振って消えた。
店内は静かなままだった。
ヴィオラは残りをゆっくり食べた。二滴目は落ちなかった。それでも胸の痛みは、息ができる程度に薄くなっていた。
「母を忘れたくはありません」
「忘れる菓子ではありません」
彼女は値札どおりの銀貨を置き、もう一枚を重ねた。
「明日も一つ。泣く練習を、続きをしに来ます」
扉の外へ出た彼女は、空を見上げたまま歩いていった。
オルフェが空になった器を持ち上げると、ちりん、と夜最初のドアベルが鳴った。