潮斑猫に真水を一杯
港町の防波堤に潮斑猫が上がった朝、漁師たちは船を捨てて逃げた。
青緑の斑点を持つ巨大な猫型魔獣は、怒れば津波を呼ぶ海の災厄とされる。実際、喉を鳴らすたび沖の波が高くなった。
網修理屋のバルテは、猫の舌を見ていた。
何度も海水を舐めては吐き、口の端に白い塩が固まっている。腹は満ちているように膨らんでいるのに、目は乾ききっていた。
「真水が欲しいんだ」
井戸桶を持つと、町長が腕を掴んだ。
「貴重な水を魔獣へやる気か」
「このまま死なせれば、海で腐る。そっちのほうが怖い」
バルテは桶を担ぎ、防波堤を歩いた。潮斑猫が唸ると波が壁を越え、背中まで濡らす。彼は桶を守るよう抱き、猫の三歩手前で止まった。
直接飲めば勢いでむせる。平たい網籠に布を張り、少しずつ水を注いだ。
猫は鼻を寄せ、一舐めした。次の瞬間、夢中で舌を動かす。バルテが注ぐ速度を落とすと、苛立って前足を上げたが、彼の頭上でぴたりと止めた。
「待て。まだある」
一杯目、二杯目、三杯目。乾いていた舌が赤みを取り戻し、荒かった息がゆるやかになる。
濡れた毛の下には、漁網の切れ端が胴へ食い込んでいた。バルテは自分の商売道具で結び目を切る。網には町の船印があった。怪物が網を破ったのではなく、捨て網に絡め取られていたのだ。
最後の縄を外すと、潮斑猫は海へ飛び込んだ。切り取った網を調べた若い漁師が、自分たちの捨てた道具だったと認めて頭を下げる。バルテは責める代わりに、次から回収するための印を網へ縫いつけろと言った。
逃げたと思った直後、沖から銀色の魚群が押し寄せ、空だった生け簀を満たした。猫は再び防波堤へ上がり、額の波紋をバルテの腕へ移す。
町長が「港の守護契約だ」と膝をついた。
潮斑猫は満足そうに横たわり、腹を見せた。バルテが濡れた胸毛へ手を入れると、表面は潮風のように冷たいのに、奥には湯たんぽのような熱がこもっていた。ずぶ濡れの頭が膝へ落ちる。重く、温かく、海そのものが彼を信じて眠ったようだった。