灰猫神さま、入浴中
火山が三日鳴ったあと、灰猫神が町へ来た。
家ほどもある灰色の猫が大通りを歩けば、足跡から煙が上がる。住民は戸を閉め、神官は「噴火の使いだ」と鐘を乱打した。
共同浴場の番台娘、紅葉だけは首をかしげた。
灰猫神は怖い顔をしているのに、店先の水桶へ映る自分を見るたび、前脚で頬を擦っていた。しかも擦るほど、毛から灰が舞う。
火口帰りの炭焼き職人も同じ顔をする。熱より、毛穴へ入り込んだ細かな灰が厄介なのだ。猫神の背には焼けた枝や軽石まで引っかかり、尾の先は固まって棒のようになっていた。
「たぶん、汚いのが嫌なんだ」
そう言うと、逃げ込んできた客たちは一斉に否定した。
神獣は身を清める必要などない。あれは呪いの灰だ。触れば石になる。
紅葉は全部聞き流し、浴場の大扉を開けた。
「一番風呂、空いてますよ」
巨大な猫の耳がぴくりと動く。
湯船には入れないので、洗い場へ桶を並べた。灰猫神が恐る恐る前脚を差し出すと、肉球の間まで灰が固まっている。
紅葉はぬるい湯をかけ、米糠袋で毛を揉んだ。
ざらざらだった表面から灰が流れ、本来の毛色が現れる。灰色ではない。淡い桜色だった。
「まあ。ずいぶん可愛い色を隠してたんですね」
灰猫神が不満そうに、にゃあ、と鳴いた。
町中の窓が震えたが、紅葉は笑って背中を洗い続けた。耳の後ろ、顎の下、尾の付け根。そこへ手が届くたび、神獣の目が細くなる。
最後に乾いた布を何枚も使って水気を取る。
灰猫神は途中から自分でも前脚を舐め、紅葉が拭いたところを几帳面に整え始めた。背中だけは届かず、ちらり、ちらりと彼女を見る。紅葉が「はいはい」と櫛を戻すと、満足そうに目を細めた。
やがて全身を震わせる。湯気とともに残った灰が飛び、浴場の屋根へ薄桃色の雲が広がった。
神官が「瑞兆の色だ」と外で叫ぶ。
その声を無視して、灰猫神は洗い場へごろんと転がり、腹を上にした。
紅葉が腰を下ろすと、大きな頭が膝を探してずるずる寄ってくる。
濡れ残った頬毛はずしりと重く、湯上がりの石鹸と米糠の匂いがした。やがて喉の音が床を震わせ、膝の上だけ小さな温泉のように熱くなった。