獣舎係の号令
ナディア・フロスが召喚陣へ手を置いても、何も現れなかった。
水晶に出たのは【召喚出力:2】。
キリオ・ザンデルは翼竜の背から笑った。
「獣舎の臭いが染みついて、精霊まで逃げたらしい」
ナディアは反論しなかった。召喚獣を呼べない代わりに、学院中の獣へ餌を運び、爪を切り、眠れない夜には低い鼻歌を聞かせていた。主を蹴る軍馬も、火を吐く蜥蜴も、彼女の前では頭を下げた。
大測定では、召喚生たちが同時に契約獣を解放した。キリオの翼竜が最も高く舞い、炎の輪をくぐる。観覧席が沸いた。
ところが、測定用の鐘が鳴った途端、獣たちが一斉に耳を伏せた。鐘へ混じった高音が恐怖を煽っていたのだ。軍馬が柵を蹴破り、火蜥蜴が床へ炎を吐く。翼竜はキリオを振り落とし、講堂の天井へ突進した。
教師の拘束術は、興奮した群れに弾かれた。
ナディアは立入禁止の札を外し、中央へ歩いた。杖も鎖も持たず、指を唇へ当てる。
短い口笛が響いた。
翼竜の羽ばたきが止まる。次に彼女が床を軽く踏むと、軍馬が鼻を鳴らして伏せた。火蜥蜴は炎を飲み込み、尾を丸める。最後に翼竜が降り、ナディアの肩へ額を押しつけた。
静まった獣たちは、契約主のそばへ戻らなかった。軍馬はナディアが怪我を確かめるまで伏せたまま待ち、火蜥蜴は彼女が濡れ布を置くと、その上へ顎を載せた。
獣舎の記録板が講堂へ呼び出される。そこには主の名前ではなく、夜ごとの世話が刻まれていた。食欲の落ちた翼竜へ温めた肉を運んだ者。蹄の割れた軍馬へ薬泥を塗った者。召喚主に叱られて震える幼獣の檻の前で、朝まで座っていた者。すべてナディアだった。
キリオは翼竜へ命令したが、竜は耳を動かすだけで従わない。
「契約は俺にある!」
召喚教師が冷たく答える。
「契約印は所有を示す。信頼まで刻んではくれない」
ナディアが手を差し出すと、翼竜は自分から首輪を外しやすい角度へ頭を下げた。彼女は勝ち誇らず、擦れて赤くなった皮膚へ薬を塗った。
召喚水晶は、契約の強さではなく、群れが誰の合図を選んだかを測り直した。
【群体統率率:99%】
キリオは床に座り込んだまま、自分の翼竜がナディアの後ろへ並ぶのを見た。
【召喚科・序列更新】
首席:ナディア・フロス
獣舎実習生:キリオ・ザンデル