王印が押したのは廃止の二文字
戴冠式の余興として、熊獣人グレンダルは玉座の前へ引き出された。
首には闘技奴隷の黒鉄輪。十年間、命令された相手を一撃で倒してきた巨躯だ。
「新王女アデル殿下へ、最強の所有物を」
宰相が恭しく契約書を差し出す。王印を所有者欄へ押せば、黒鉄輪には王家の紋章が浮かぶ。
大広間の貴族たちは拍手した。
アデルは契約書を受け取った。
「この者は、私の命令に絶対服従するのですね」
「御意。試しに宰相へ跪けと」
グレンダルの目は床を見ていた。誰が所有者になろうと、次の命令を待つ姿勢は変わらない。
アデルは王印を朱肉へ沈めた。
そして所有者欄を通り越し、契約書の中央へ押しつける。
廃止。
二文字を刻んだ特別な王印だった。
「なっ……殿下、それは奴隷法そのものを——」
「国全体の議論は明日します。今日は、この一枚を終わらせます」
王印から金の亀裂が走り、羊皮紙を縦横に裂いた。黒鉄輪も同じ形に割れ、石床へ落ちる。その音だけで、大広間の拍手はぴたりと止んだ。
宰相は慌てて予備の所有札を掲げた。
「王家の守護獣が必要です! 殿下の紋章へ書き換えるだけでも!」
「守護を強制される者は、守護者ではなく人質です」
アデルはグレンダルの前まで歩き、玉座へ背を向けた。
「西門を開けました。故郷へ帰る旅費も用意しています。私へ礼を言う必要もありません」
熊獣人は大広間を出た。
貴族たちはざわめき、宰相は「恩知らず」と吐き捨てた。アデルは答えず、ひとりで戴冠の階段を上る。
王冠を受け取ろうとした時、大扉が再び開いた。
旅装へ着替えたグレンダルが戻ってくる。手には闘技場で使っていた大盾があった。
「私は膝をつく言葉しか教わらなかった」
彼は立ったまま言った。
「だから、立ったまま申し出る。あなたが誰かの自由を守る間、私はあなたの前ではなく、隣で盾を持ちたい」
アデルは命令を出さず、玉座の横を一歩空けた。
グレンダルはそこへ盾を置く。
王印が初めて得た絶対的な忠誠は、所有者欄ではなく、廃止の二文字から始まった。