王子が署名した恋文
戦勝祝宴の壇上で、王太子ディートハルトは婚約者オクタヴィアの杯を払い落とした。
「国を守れなかった臆病者との婚約は破棄する。私を支えた聖女エスメラこそ、次代の妃にふさわしい」
エスメラは王太子の外套をまとい、彼と同じ香を漂わせていた。二人が夜ごと東離宮で会っているという噂を尋ねたオクタヴィアは、「醜い嫉妬」として謹慎させられていた。その間に彼女の防衛報告書は王太子名義へ書き換えられ、今夜の戦勝演説にも一行として名前が残されていない。
「関係が始まったのは昨日だ。それ以前の証拠など存在しない」
ディートハルトは婚約破棄状へ王家の筆で署名した。その瞬間、紙面から金の糸が伸び、祝宴の天井へ文字が浮かぶ。
《同一筆具による未登録文書を検出》
王太子自身が半年前、機密漏洩を防ぐため導入した追跡魔法だった。王家の筆で書かれた文書は、焼いても破っても、次に正式文書へ署名した際に一覧が現れる。
金文字は一通目の恋文を再現した。
《愛しいエスメラへ。今夜も東離宮で待つ。オクタヴィアには軍議と伝えた》
日付は戦が始まる前だった。
二通目には、王太子の寝室へ自由に入れる通行証の番号。三通目には、オクタヴィアが立てた防衛策を自分の功績として発表し、その褒賞でエスメラへ領地を贈る約束まである。余白にはエスメラの返事もあり、《妃になったらあの女の部屋を使いたい》と彼女自身の魔力で記されていた。どれにも彼の署名が輝いていた。
「偽造だ!」
彼が筆を折ると、追跡魔法は《証拠破壊を確認》の赤文字を追加した。
エスメラは外套を脱ぎ捨てようとしたが、裏地から王太子の私印が落ちた。夜間通行証と同じ印だ。彼女は逃げ場を探し、初めてオクタヴィアを見た。
オクタヴィアは破棄状を拾い、王座へ差し出した。
「婚約破棄は喜んで受け入れます。軍の功績だけ、正しい名へお戻しください」
国王は防衛記録と恋文を見比べ、近衛隊長へ命じた。隊長が銀の令状を開く。
「王太子ディートハルトおよび聖女エスメラに対する、王印濫用と軍功詐取の逮捕命令を読み上げる」