白百合のない祝祭
魔王都の春祭りは、白百合で飾られる。
花師フィオにとって、それは母の葬儀の匂いだった。
広場へ入った瞬間、息が浅くなる。誰にも気づかれないよう袖で鼻を覆ったのに、玉座から魔王オルシスが立ち上がった。
「百合をすべて下げろ」
花係たちが動きを止める。
「陛下、千年の伝統です」
「今日で終わりだ」
オルシスは一輪の百合も燃やさなかった。フィオが花を傷つけることまで嫌うと知っているからだ。風の魔法で根ごと鉢を持ち上げ、郊外の庭園へ移させる。
代わりに広場へ飾られたのは、フィオが育てた青い小花だった。
「これなら大丈夫か」
「はい。でも、こんな地味な花で祭りを?」
「余は好きだ」
「昨日まで名前も知らなかったでしょう」
「おまえが好きなら、今日から知っている」
周囲には氷のような魔王が、彼女の花の高さだけは腰を屈めて確かめた。
祭りの終盤、貴族たちは白い花冠を持ち出した。
「人間の花師を魔妃に迎える証として、陛下からお授けください」
フィオは後ずさる。
「私は冠を受けません」
「陛下の寵愛を拒むのか」と長老が問う。
「寵愛を拒むのではありません。皆の前で、決めていない身分を与えられるのが嫌なんです」
オルシスは花冠へ手を伸ばした。長老たちは、魔王が無理にでも載せると思ったのだろう。
彼は冠をフィオの頭ではなく、空になった花台へ置いた。
「これは誰の案だ」
「民が待ち望んでおります」
「待ち望むだけなら自由だ。決定権はない」
魔王はフィオへ問いかけた。
「祭りには残るか」
「はい。花の手入れをしたいです」
「なら、花師として残れ」
長老が声を荒らげる。
「魔王陛下の隣にいる女が、ただの花師では示しがつきません!」
オルシスは青い小花を一輪だけ摘み、フィオに渡さず、自分の胸へ差した。
「示しならこれでいい。余が彼女の花を選んだ」
花冠は誰の頭にも載らなかった。
「フィオが望まぬ称号を、余の愛の証に使うな。彼女は今日も花師だ。それ以上になる日は、彼女自身が決める」