白鷺の共有傘
川沿いの食堂へ、避難勧告が出た。
台風で水位が上がり、店主は一人で土嚢を積んでいた。
妻を亡くしてから、近所へ頼るのが苦手になった。手伝いを申し出られても、
「自分の店ですから」
と断った。
雨の中、白い着物の女が店先へ立った。
片脚を少し引きずり、長い首のように傘を傾けている。
数年前、店主は釣り糸へ絡まった白鷺を川から引き上げ、脚の糸を切った。
女はその鷺だった。
「一本の傘へ二人以上入っている間だけ、安全な道が白く見えます」
川の水が道路へあふれ始めている。
女が示す先には、薄い白線が坂の上まで伸びた。
だが店主は、
「店を置いていけない」
と動かなかった。
そこへ隣の花屋の老夫婦が来た。
二人で一本の傘を差し、食堂の戸を叩く。
「一緒に逃げるよ」
「先に行ってください」
「あなたを置くと、こちらが逃げた気になれない」
店主が傘へ入ると、白線が三人の足元から太くなった。
途中、アパートの一階で幼い子どもが泣いていた。
母親は荷物を抱え、傘がない。
店主は自分の傘へ二人を入れた。
白い道はさらに明るくなる。
食堂の常連、配達員、夜勤明けの看護師。
一つの傘を渡し合うたび、見えなかった高い道が現れた。
避難所へ着く頃、白い女の脚は鳥のように細くなっていた。
「店は?」
店主が尋ねる。
「水は、残した物の値段を知りません」
「恩返しなら、守って」
「助けてもらった時、あなたは私の巣を守りに川へ残りましたか」
店主は何も言えなかった。
鷺を抱え、安全な岸へ運んだだけだ。
翌朝、水が引く。
食堂には泥が入り、畳も冷蔵庫も駄目になった。
店主は立ち尽くした。
花屋の夫婦が箒を持ってきた。
常連は水を運び、配達員は廃棄物の車を手配した。
店主が断ろうとすると、皆が一本の大きな作業用テントへ入った。
白鷺はもういない。
それでも泥の上に、白い足跡のような石灰の線が引かれ、作業場所が分けられていた。
食堂は一か月後、小さく再開した。
壁には壊れた傘の柄を一本飾った。
店を守ったのは不思議な道ではない。
一本の傘へ入ることを拒まなかった瞬間から、誰かと一緒に戻る道が見えたのだった。