眠り続ける聖剣に目覚め油
「聖剣が抜けん」
老騎士オルフェンは、鞘ごと剣をカウンターへ置いた。
薬屋《金の乳鉢》の店主サーラは、刃物屋ではないと断ろうとした。だが鞘へ耳を近づけると、微かな寝息がする。
「剣が眠っていますね」
「昨日までは抜けた。今夜、北門へ魔獣が来る。こいつが起きなければ門は破られる」
北門の守備兵は若者ばかりで、聖剣の光を合図に陣形を組む。刃が一本眠るだけで、百人が動けなくなる。
柄には傷一つない。封印も呪いも見当たらない。
サーラが鞘へ問いかけると、寝息の奥で小さな声がした。
――また折れるのは、いやだ。
聖剣は前の戦いで刃こぼれし、修復されたばかりだった。折れかけた夜、オルフェンは勝利を喜ぶあまり、剣の痛みに気づかなかった。眠っているのではない。戦うのが怖くて、鞘の中へ閉じこもっている。
「無理に抜けば?」
「二度と目を覚まさないでしょう」
サーラは薬棚から琥珀色の小瓶を出した。
「目覚め油です。眠気を飛ばす油ではありません。体が覚えている、一番うれしかった朝を思い出させます」
「剣にも効くのか」
「寝息があるなら、効きます」
油を一滴、鞘口へ垂らす。
香ったのは鉄ではなく、草原の朝露だった。剣が初めて鍛冶場を出た日。若いオルフェンが、まだ傷のない柄を両手で掲げた記憶が、淡い光となって鞘を走る。
老騎士は柄へ触れた。
「怖いなら、今夜は門の前に立つだけでいい。斬るかどうかは、お前が決めろ。今度は、折れる前に俺が止める」
しばらく沈黙があった。
やがて聖剣は、自分から指一本分だけ鞘を滑った。澄んだ金属音が店内へ響く。
さらに一寸。半身。
最後には光る刃がすべて現れ、切っ先が北を向いた。
オルフェンは笑った。
「斬る気らしい」
剣も低く鳴った。
彼は宝石を一つ置いた。サーラが高すぎると言う前に、聖剣が柄でカウンターを二度叩く。
「こいつからの代金だ。受け取れ」
老騎士は剣を肩へ担ぎ、北門へ向かった。
夜半、遠くで勝利の鐘が鳴った。
同時に、薬屋の戸口でも小さな鈴が鳴る。
サーラが顔を上げると、今度は錆びた槍を抱えた兵士の影が立っていた。