短冊の裏側
小日向七緒は、商店街の図書室で働いている。
七夕が近づくと、入口に笹を立て、子どもたちへ短冊を配るのが恒例だった。
「ケーキ屋さんになれますように」
「犬と話せますように」
色紙は、まっすぐな願いで次々埋まった。
七緒は毎年、自分の短冊を書かなかった。
大人の願いは、説明が長くなる。仕事を続けたい。でも責任は少し減らしたい。母には元気でいてほしい。でも毎週電話をする余裕はない。そんなことを笹へ吊るすのは、場違いに思えた。
閉館間際、常連の少女が一枚の短冊を差し出した。
「裏にも書いていい?」
「もちろん」
表には〈ピアノが上手になりますように〉、裏には小さく〈発表会でまちがえても泣きませんように〉とあった。
「どっちが本当のお願い?」
「どっちも。表はみんなに見せる方」
少女は当然のように答えた。
その夜、七緒は笹の前で一人になった。
余った薄青い短冊を取り、表へ〈図書室にたくさん人が来ますように〉と書いた。
裏にはしばらく迷い、〈静かな日も、失敗だと思いませんように〉と書いた。
翌日は雨だった。
来館者は午前中に三人だけ。七緒は以前なら、行事の告知が足りなかったと反省しただろう。
けれど窓辺の椅子で、老婦人が一冊をゆっくり読んでいる。子どもが床へ座り、絵本の雨粒を指で追っている。
静かな図書室にも、雨の日の役目があった。
午後、少女が母親と戻ってきた。
発表会で一音間違えたが、泣かなかったという。
「裏のお願いが叶った」
「表は?」
「まだ。だから来年も書く」
少女は笹を揺らし、短冊を見上げた。
閉館後、七緒は生姜を入れた紅茶を淹れた。
窓の外では雨が細く降り、濡れた笹の葉が青い匂いを立てる。
自分の短冊は、人に見える側も見えない側も、同じ風に揺れていた。
七夕の翌朝、笹を片づける前に、七緒は自分の短冊を外した。
捨てずに、本の栞にする。
裏の文字は頁の間に隠れたが、消えたわけではない。
静かな午後が来るたび、七緒はその栞を挟んだ本を開き、湯気の向こうで、何も起こらない時間を一つずつ読み直した。