祖母の路線図
七十八歳の祖母、槙江が、一人で地下鉄に乗る練習を始めた。
孫の晃臣は路線図を印刷し、乗換駅へ赤い丸をつけた。祖母は駅名より、線の色で覚える。
「青から緑、それから黄色」
「黄色は乗らない。出口の看板」
何度説明しても混ざる。
目的は、月に一度の句会だった。これまでは友人が迎えに来たが、足を痛めて休むことになった。
最初の練習は晃臣が同行した。槙江は切符を握り、改札の手前で何度も鞄を確かめる。
乗換駅では人の流れが速い。晃臣が先へ行くと、祖母は立ち止まった。
「置いていかないで」
その声に、幼い頃の自分を思い出した。祭りの人混みで、祖母の手を強く握った。
晃臣は歩幅を合わせ、緑の線まで一緒に歩いた。
句会の会場へ着くと、槙江は用意した俳句を見せた。地下鉄の風を詠んだ句だった。
翌月、祖母は一人で出かけた。晃臣は電話を待ったが、帰宅時刻まで連絡はない。
夕方、槙江から写真が届く。駅前の甘味処で、仲間と汁粉を食べていた。
〈青から緑で着きました〉
冬の終わり、二人でもう一度同じ道を歩いた。今度は槙江が先に乗換方向を示す。
甘味処へ寄り、湯気の立つ汁粉を食べた。路線図の紙は折り目で柔らかくなり、鞄の中から小豆と地下鉄の鉄の匂いがした。
槙江は句会の日ごとに、路線図へ小さな印を加えた。おいしい茶店、空いている階段、風の強い出口。赤い丸より書き込みのほうが増え、晃臣にも読めない地図になった。ある休日、祖母に案内され、知らない出口から地上へ出る。そこには小さな公園と焼き菓子店があった。二人で胡桃の菓子を買い、地下鉄のベンチで食べる。槙江は一句考え、晃臣は屑を紙へ包んだ。折り畳んだ路線図から、鉄の風に混じって胡桃と小豆の甘い匂いがした。
槙江は次の句会で、迷わなかった日の句より、最初に立ち止まった日の句を読んだ。晃臣は意味を全部は聞かなかった。帰りの地下鉄で、祖母の紙袋から胡桃の香りだけが答えのように漂った。