神託を一文字直しただけ

江波戸修平が召喚された瞬間、神託板には大きく《無能》と浮かんだ。

「能力なし。神が二文字で断じたのだ、反論する余地もあるまい」

神官長が言い、勇者候補たちは露骨に距離を取った。

修平は編集者だった。誤字を見つけると、内容より先に目が止まる。だから神託板の文字を見たときも、侮辱より違和感が勝った。

《無能》の「能」だけ、彫りが新しい。

彼の視界には、赤い校正記号と能力説明が浮かんでいる。

《世界校正》

誤っている文字を一字だけ正し、現実へ反映する。

神託板の上段には、千年前の予言が刻まれていた。

――異界より来る者、魔王を迎え、王都に永き夜をもたらす。

神官長は《迎える》とは魔王を討つ勇者を歓迎する意味だと説明した。だが文章として不自然だ。しかも「迎」の一字だけ、やはり新しい。

そのとき地下から衝撃が響いた。

神託板の背後に黒い亀裂が走り、巨大な爪が突き出す。神官長の顔から血の気が引いた。

「予定より早い……!」

聞き逃した者はいなかった。

爪に続いて、冠を戴いた影が亀裂を押し広げる。予言どおり、この場は魔王を迎える門だったのだ。騎士たちが盾を構えるが、神官長の結界に阻まれて近づけない。

修平は神託板へ歩いた。

直すべき文字は一つだけ。

彼は指先で「迎」に赤い線を引き、その横へ「還」と書いた。

《世界校正》

――異界より来る者、魔王を還し、王都に永き夜をもたらす。

文字が確定する。

亀裂から出かけていた爪が止まった。次の瞬間、魔王の影は見えない力に引かれ、門の向こうへ吹き飛ぶ。黒い亀裂は逆再生のように閉じ、神官長が何年もかけて築いた召喚装置まで砂になった。

同時に、最後の句も意味を変えた。

神託板の上にあった偽りの太陽が消え、地下神殿の天井が開く。王都を覆っていた結界の夜が破れ、本物の夕焼けが差し込んだ。

修平の《無能》から、後付けされた「能」の字が剥がれ落ちる。

残ったのは《無》ではない。その下に隠されていた、本来の二文字だった。

《校正》

玉座の女王が立ち、神官長の逮捕を命じる。

修平は赤い指先を下ろした。

先ほどまで神の誤りを信じた全員が、今は彼の一文字を神託より重く受け止めていた。