移動図書館の返却口
佐伯木登志郎は、移動図書館車を運転している。
水曜は団地、木曜は山側の小学校、金曜は海辺の広場。車が着くと、本を待つ人だけでなく、近所のゴールデンレトリーバー・木の葉もやってきた。
飼い主の少女が本を選ぶ間、木の葉は車の下で伏せ、読み聞かせの声を聞いていた。
金曜の朝、その少女が泣きながら広場へ来た。
散歩中にリードの金具が外れ、木の葉が走っていったという。人懐こい犬だが、海沿いの道は広い。
登志郎は運行を止められない。そこで各停車地へ着くたび、貸出机に写真を置いた。
〈この犬を見ませんでしたか〉
漁師町の利用者は堤防を見回り、保育園の先生は園庭の門を確認した。団地の高齢者は、ベランダから道路を見てくれた。
借りた本の返却と一緒に、目撃情報が集まっていく。
「午前、赤い橋の方へ」
「魚屋の前で水を飲んだ」
「子どもの声がすると立ち止まった」
午後、小学校の停車地で読み聞かせが始まった。
登志郎はいつもより窓を開け、少女が好きな物語を選んだ。森で迷った犬が、遠くの鈴を頼りに家へ帰る話だ。
子どもたちの声が、風に乗って校庭の外へ流れる。
物語の途中、車体の下で何かが擦れた。
登志郎が屈むと、泥のついた大きな鼻が返却口の下から覗いている。
木の葉だった。
遠くまで歩き、疲れて、聞き慣れた読み聞かせの声と車の匂いを追ってきたらしい。
少女が名前を呼ぶと、犬は尾を大きく振った。子どもたちは一斉に立ち上がったが、先生が「驚かせないように」と手を広げる。皆が座り直す中を、木の葉はゆっくり少女の膝まで歩き、そこへ頭をのせた。
その日の貸出は少し遅れた。
けれど誰も急かさず、持参した麦茶やみかんを分け合った。魚屋からは犬用の水入れ、パン屋からは人間用の小さな丸パンが届いた。
登志郎は返却された本を数えながら、捜索に関わった人々の名前も覚えた。
翌週、移動図書館車の横に、新しい掲示板が立った。
迷子情報、町の行事、譲りたい本。木の葉の写真は〈見つかりました〉の赤い文字と一緒に、一番上へ残された。
少女が本を選ぶあいだ、犬はまた車の下で眠っている。
開いた窓から紙と木の匂いが流れ、丸パンの小麦の香りと混じった。読み聞かせの声は、今日は誰も迷わせず、広場をゆっくり包んでいた。