竜の咆哮を訳しただけ

神代静馬の登録試験は、地下の円形闘技場で行われた。

魔力計は沈黙し、技能板にも文字が出ない。鉄格子の向こうでは、鎖につながれた老竜が低く唸っている。

「能力なし。せめて竜の餌になれば、試験の手間が省ける」

竜騎士の試験官がそう言って笑った。

静馬には、老竜の唸りが苦痛に聞こえた。ただの獣声ではない。言葉なのに、意味へ届く直前で砕けている。

視界に浮かぶ能力は一つ。

《完全翻訳》

存在一つが伝えようとする内容を、すべての聞き手へ理解できる形で一度だけ届ける。

静馬は前の世界で、言葉の通じない祖父の介護をしていた。声にならない痛みを、聞こえないことにする大人だけにはなりたくなかった。

実技開始の鐘が鳴った。試験官が鎖へ魔力を流すと、首輪の棘が老竜の鱗へ食い込む。怒らせて火を吐かせ、それを避けられるか試すのだ。

老竜が天井へ向けて吠えた。

静馬は剣を抜かず、《完全翻訳》を使った。

咆哮が、人の声になった。年齢も性別も超えた響きが、石壁だけでなく聞く者の胸の内側まで震わせた。

『我は初代ギルド長と盟約を結んだ守護竜。百年前、現評議会に眠り薬を盛られ、子らを人質に試験獣とされた』

闘技場の全員が同じ言葉を聞いた。

『この鎖は魔物を縛るものではない。創設者の血を引く者を服従させる反逆具だ』

壁の紋章が赤く変わる。試験官の持つ鍵から黒煙が噴き、隠されていた奴隷紋が露出した。観客席のギルド長が立ち上がろうとしたが、老竜の次の言葉に凍りつく。

『そして異界の若者よ。お前だけは、我が怒りではなく痛みを聞いた』

鎖が内側から外れた。

老竜は静馬を襲わなかった。巨大な頭を床まで下げ、彼の前へ額を差し出す。そこには初代の金章が埋め込まれていた。

『盟約の証人として、我はこの者を認める』

上級竜騎士たちが次々に膝をつく。彼らの契約竜も地上で一斉に翼を伏せ、その振動が天井から降ってきた。

餌と呼ばれた静馬の前で、試験官だけが鍵を握ったまま立っていた。

もう誰の目にも、鎖につながれているのがどちらかは明らかだった。