竜は薪一本分
「薪は一本ずつくべてください」
森の宿〈苔熊亭〉の主人ムルドは、大柄なトロルだった。割った薪を長さ順に積み、鍋の灰汁をすくい、寒がる客には黙って椅子を暖炉へ近づける。怖い顔に反して火加減には細かい。吹雪の晩でも暖炉は強すぎず弱すぎず、朝には必ず灰が同じ高さに残る。常連は、火の方がムルドを怖がっているのだと冗談を言った。
魔術学校を落第した少年リアンは、旅の途中でそこで働いていた。火球一つまともに出せず、自分には才能がないと思っていた。その日もスープ鍋を温めようとして取っ手だけ焦がし、ムルドに黙って交換してもらったばかりだった。
夜更け、暖炉の煙突が内側から赤く膨れた。灰冠竜が火となって降りてきたのだ。森を焼き、火山の噴煙まで食らう古竜。炎の顎が開けば、宿どころか山が朝まで残らない。リアンは消火の呪文を唱えたが、竜はその小さな水滴まで蒸気にして笑った。
ムルドは薪籠から細い枝を一本取り、炎の中へ差し入れた。
「大きすぎる火は、扱いにくい」
枝をくるりと回す。
灰冠竜の巨体が、渦を巻いてその先へ絡みついた。翼も牙も灼熱も、赤い糸のように縮み、一本の薪へ吸い込まれる。枝の表面には鱗の模様が浮かび、千年燃え続けるはずの竜火が、料理用の穏やかな熱へ変わった。ムルドが枝を炉床へ置くと、竜は小さな橙色の炎になって、行儀よく燃え始めた。
リアンだけが見た。トロルの太い指の間に、火の精霊王がひざまずいていたことを。教本では、大魔法使い〈原初炉〉だけが炎そのものへ命令できるとある。
「ご主人、いまの術を教えてください!」
「まず鍋を焦がさないことだ」
ムルドは煙突の煤を払い、床へ落ちた赤い鱗を炭入れへ放った。壁の焼け跡には濡れ土を塗る。客室では誰も目を覚まさず、スープはちょうどよく温まっていた。竜火は鍋底だけを赤くし、木の匙には熱さ一つ伝えない。
翌朝、リアンが震える手で薪を三本まとめて入れようとすると、暖炉の小さな炎が竜の目の形に細まった。ムルドは少年の手から二本を取り、一本だけ残した。
「薪は一本ずつくべてください」