笑わないサムネイル

九重綴がどのフレームを選んでも、MVの少女は笑っていなかった。

本編では完璧な笑顔を保っている。白い歯、上がった口角、潤んだ瞳。なのにサムネイル作成画面へ切り替えると、選択した一枚だけ表情が落ち、怯えた顔になる。

プロデューサーは不具合だと苛立った。モデルになった歌い手は撮影後に失踪し、代わりに彼女の顔を学習した映像モデルが新曲を歌っている。綴は顔の調整を担当し、笑顔の強度を最大にした張本人だった。撮影日の素材には、モデルが休憩を求める場面もあったが、納期を守るため自分で不採用フォルダへ移した。失踪を知った後も、そのフォルダを開けなかった。

イントロで少女は鏡の前へ座る。音声は合成なのに、口だけが歌詞から外れた。

「笑顔を作って」

綴は表情パラメータを上げた。少女の頬が滑らかに持ち上がる。Aメロでは、鏡の中の顔だけが一拍遅れて泣いた。涙は自動修復され、光の粒へ置き換わる。

二度目の口の動きに合わせ、画面の笑顔スライダーが勝手に下がった。

「笑顔を作って」

プロデューサーは公開を止めず、むしろ生配信で修正しろと命じた。コメント欄は「表情が尊い」で埋まる。綴がスライダーを上げるたび、映像の裏から短い現場音が漏れた。椅子を蹴る音。息を押し殺す音。撮影を拒む少女へ、誰かが何度も同じ調子で命じている。

サビで補正が全解除された。鏡には、頬を腫らした本人が映る。中央の少女は笑顔のままだが、その口元は人間には不可能な角度まで裂けていく。綴は停止を押す。画面は公開中のまま、現場音だけを最大にした。

最後の一音の後、プロデューサーの声が鮮明に残る。

「笑顔を作って。商品なんだから」

少女が視聴者へ明るさを求めた言葉ではなかった。恐怖を隠すために浴びせられた命令を、彼女の顔を使って再生していたのだ。

綴は修正履歴と現場音を公開設定へ切り替えた。サムネイルには、笑っていない一枚を選ぶ。初めて表示された本当の表情へ、コメント欄から笑顔の絵文字が消えていった。