終電より一つ前
弓削尚哉と赤井柊平は、飲みに行っても酒を一杯ずつしか頼まない。
あとは駅前のベンチへ移り、自動販売機の缶を飲みながら話す。
学生時代から二十年、店より外で過ごす時間の方が長かった。
金曜の夜、二人は終電より一つ前の列車を見送った。
「乗らなくてよかった?」
尚哉が訊く。
「終電ある」
「そういう意味じゃない」
「分かってる」
柊平は温かいコーンスープの缶を両手で包んだ。
ベンチの上には落ち葉が一枚あり、尚哉が隣へ移した。
駅前のタクシーが一台出て、一台戻る。改札から人が途切れると、発車案内の電子音だけが明るく響いた。
二人が話したのは、尚哉の息子が反抗期に入ったこと、柊平の飼っている金魚が水草を全部抜いたこと、学生時代のアルバイト先にいた無口な店長のことだった。
「店長、今の俺らより若かったんじゃない?」
「嘘だろ」
「三十八って言ってた」
「すごい大人に見えた」
「今の俺らは?」
「駅でスープ飲んでる中年」
尚哉は息子との会話が減ったことを、深刻には言わなかった。
「部屋の前にプリン置くと、皿だけ戻る」
「食べてるなら通じてる」
「そうかな」
「金魚より反応ある」
柊平は缶を振った。底に残った粒が小さく鳴る。
終電まであと十二分。
二人とも時刻表を見たが、立たなかった。
「学生の頃、よく終電逃したよな」
「金がなくて歩いた」
「途中で肉まん買って」
「一個を半分にした」
「今なら一人一個買える」
「でも、もう歩けない」
笑うと、吐く息が白くなった。
発車ベルの予告が流れ、ようやく立つ。
柊平は空き缶を捨て、尚哉はベンチの落ち葉を元の場所へ戻した。
「なんで戻す?」
「先客だったから」
「律儀だな」
列車へ乗ると、車内は空いていた。
二人は向かいではなく、同じ長い座席へ少し間を空けて座る。
窓に映る顔は、無口な店長よりずっと疲れて見えた。けれど隣には、昔から同じ冗談で笑う相手がいた。
別れる駅で、尚哉は言った。
「明日、プリン二個買う」
「一個は自分用?」
「食べながら待つ」
ホームへ出ると、コーンスープの甘い匂いがマフラーに残っていた。
終電より一つ前を見送った十五分は、誰かの帰宅を急がせない、小さな待合室のようだった。