胃袋から始まる神回
《真っ暗だけど、どこだここ》
《酸の音がする。巨大魚の胃袋セット?》
《立花征吾って潜水作業員だろ。深海王に呑まれて生きてる設定は無理》
観光配信者のカメラは、《深海王アビスモーラ》に呑み込まれた衝撃で電源が入り、そのままライブを再開していた。
胃の内壁に張りつくカメラが映したのは、同じく呑まれた十二人と、最後に吸い込まれた潜水作業員・立花征吾だった。外では討伐船が胃壁を破れず、内側では消化液が靴底を溶かしている。
十二人のうち三人は泳げず、二人は負傷して立てない。征吾は救助船の到着を待つ提案を聞くと、胃壁に刻まれた水位線を指でなぞった。次の収縮が来れば、カメラも人も消化液の下へ沈む。残り時間は、彼の息一回より短かった。
征吾はボンベを十二人へ順に回し、自分の分を残さなかった。
《内部圧力、外海の四十倍》
《胃門は逆流防止で閉鎖》
《酸素なしで何をする。もう一分もたないぞ》
征吾は深く息を吸った。肺へ入ったのは、ボンベではなく胃袋に残った最後の空気だった。
「潜水鐘の詰まりを抜く要領でいく」
彼は胃門へ口を当て、一度だけ息を吹き込んだ。
画面が白く揺れた。
深海王の体内を逆向きの圧力波が走り、閉じていた胃門、食道、巨大な口が一直線に開く。十二人とカメラは海面へ噴き出し、遅れて征吾が水柱の頂上から救助船へ落ちてきた。
海上では深海王が腹を上にし、圧力で裏返った浮袋を晒して気絶している。
《人間の呼気じゃない》
《肺機能測定ログ来た。《圧送呼吸》、吸った気体を損失なく任意圧で吐ける》
《外海圧四十倍を内側から上回ったのか》
《十二名、酸中毒なし。全員救出!》
征吾は甲板で咳き込み、初めて浮いているカメラに気づいた。
「これ、持ち主は無事か?」
《自分が神回の持ち主になってる》
《深海王を一息で吐かせた男》
《潜水作業員の詰まり抜き、規模がおかしい》
助かった十二人が甲板で点呼を終えると、最後に征吾の名を大声で呼んだ。彼は返事の代わりに、空になったボンベの弁を締める。
《救助船・海底観測所・体内カメラの時刻が一致》
《呼気一回以外の攻撃記録なし》
観光配信者は自分のカメラを受け取りながら、神回の主役欄を征吾の名へ直した。
救助映像の切り抜き題名が、投稿から十秒で変更された。
【魚に食べられました】から、
【胃袋側が敗北しました】へ。