脈を測る前に窓を開ける
「患者役に触れる前に、まず呼吸の有無を答えなさい」
白塔医術院の実地試験室。寝台には人形のように動かない男。壁際には青い砂時計。奏汰は、前の人生で何度も夢に見た光景へ戻っていた。
あのとき彼は男の胸元へ顔を寄せ、「呼吸あり」と答えた。直後に意識を失った。室内へ漏れていた眠り茸の胞子を吸ったのだ。目覚めたときには試験終了、不合格。さらに患者役の男が急変し、奏汰の誤診のせいにされた。
後年、薬草商の下働きになった奏汰は知る。眠り茸の胞子は、青い砂に触れると白くなる。
今、その砂時計の下半分は、すでに霜のように白い。
「答えなさい。呼吸はありますか」
前と同じ問い。
前の奏汰は「あります」と患者へ近づいた。
今度は袖で口を覆い、寝台から離れた。
「この部屋では答えません」
試験官が眉をひそめる。
「患者を見捨てるのか」
「逆です。全員を患者にしないためです」
奏汰は入口脇の非常槌で窓を割った。激しい音に、廊下の受験生が振り返る。冷たい外気が流れ込み、床近くに漂っていた淡い灰色の靄が見えた。
「何をする!」
「青砂が白化しています。眠り茸の胞子漏れです。火を使わず換気、吸入者を風上へ」
未来で百回繰り返した手順を、一息で告げる。
患者役の男を窓際へ移し、顎を上げる。胸はかすかに上下していた。別の受験生が倒れかけると、奏汰は迷わず自分の香袋を半分に分ける。点数になる患者役だけを助けるつもりはなかった。奏汰は触れる前に布越しで脈を取り、解毒草の香袋を鼻元へ置く。
男が咳き込み、目を開けた。
「今回は……眠らなかったのか」
それは台本にない言葉だった。
試験官の一人が出口へ走ろうとする。だが院長が廊下から現れ、白く変わった砂時計を見て杖を上げた。
「試験は中止。胞子管を管理した者を拘束せよ」
奏汰の胸章が淡く発光する。前回は灰色の不合格印が浮かんだ場所に、緑の文字が刻まれた。
【救命科・特別合格】
寝台の男は起き上がり、今度こそはっきり言った。
「先生、助けてくれてありがとう」