衣が沈むまで
東山亜季は家庭裁判所の待合椅子で、友人の作った海老天を食べた。
弁当箱へ熱いまま詰めたらしく、衣は蓋の水分を吸って重くなっている。油の匂いが狭い待合へ広がり、噛むと衣は歯へ貼りついた。箱の底には、まだわずかなぬくもりが残っていた。
隣に座る友人は食べない。朝六時に揚げたのに失敗した、とだけ言った。
亜季は今日、離婚調停を申し立てる。結婚して六か月だった。
夫は家を出るたび、行き先と帰宅時刻を送るよう求めた。服を選ぶと、誰に見せるのかと笑った。怒ると三日間口をきかず、その間の食事だけは作らせた。暴力はない。浮気も借金もない。だから、半年で離婚する理由としては弱いと、親に言われる気がした。
母には、役所の手続きへ行くと伝えた。結婚式の写真をまだ居間に飾っている母へ、失敗したのは式ではなく、その後の自分だったと言えなかった。式にかかった金額や、親戚へ配った引き出物まで思い出すと、半年で終えることは家族全員の手間を無駄にするようだった。
夫からは朝、〈話し合えば分かる〉と届いた。話し合いのたび、最後に謝るのは亜季だった。今日も申立書を出さずに帰れば、少なくとも誰も恥をかかずに済む。
海老天を半分に割る。衣がずるりとずれ、白い身だけが出た。亜季は身を食べ、外れた衣を弁当箱の端へ置いた。
友人は何も聞かない。昨夜、泊めてほしいという連絡へ、住所と集合時刻だけを返してくれた。今朝はこの失敗した天ぷらを持って現れた。揚げ物が得意だと豪語していた人なのに、蓋を急いで閉めたらしい。亜季が一人で来られないかもしれないと考え、料理の出来より待合時刻を優先したのだと分かった。
亜季は二本目も同じように割った。中身は食べ、重い衣を残す。結婚した事実までなかったことにはできない。けれど、まとわりついたものを全部、自分の一部として飲み込む必要もない。
受付番号が呼ばれた。
亜季は最後の海老を割らず、一本のまま口へ運んだ。衣ごと噛み、ゆっくり飲み込む。残した衣は二つだけだった。
立ち上がる前に、スマートフォンを友人へ渡す。母との画面を開き、〈今日、離婚の申立てをする〉と打ったところで止めてある。
友人は送信ボタンを押さず、端末を返した。
亜季は自分で押した。既読はつかなかった。返事を待たず、受付へ申立書を渡す。
戻ってきたとき、友人は弁当箱の蓋を閉めていなかった。残した衣を隠さず持ち帰るためだった。亜季も、半年の結婚をきれいに包んで説明しなくてよいのだと思った。
弁当箱の底では、残した衣が二つ、もう沈みきっていた。