製氷機の一拍
碧生は午前三時の店がいちばん静かだと思っている。
客が一人もいないからではない。冷蔵ケース、空調、コーヒーマシン、監視モニター、製氷機。人が黙るほど、機械がそれぞれの持ち場で音を出す。
ごう、と冷蔵ケース。
しゅう、と空調。
かち、と製氷機。
それから少し遅れて、氷が落ちる。
からん。
碧生は夜勤を始めて四か月になる。大学を休学した理由を店長は聞かなかったし、碧生も話さなかった。昼間に会う知人へ説明するより、深夜に商品の前出しをするほうが楽だった。
カップ麺の列をそろえ、レジへ戻る。
監視モニターには八つの小さな店内が映っている。どの画面にも自分の背中が少しずつ違う角度で入り、店全体に一人ずつ碧生がいるように見えた。
製氷機が鳴る。
かち。
少し遅れて、からん。
自動ドアが開いた。
入ってきたのは配送トラックの運転手だった。いつも午前三時すぎに缶コーヒーを買う人で、碧生は名前を知らない。相手も、名札を見ているかどうか分からない。
運転手は棚から無糖の缶を取り、レジへ置いた。バーコードを通す。
「温めますか」
缶コーヒーに言う台詞ではない。
碧生は口に出してから気づいた。眠気で手順が混ざったのだ。
運転手は一秒だけ止まり、首を横に振った。
「今日は冷たいままで」
怒りも笑いもせず、そう答えた。
会計を終えると、運転手は缶を軽く掲げて出ていった。トラックのエンジン音が一度大きくなり、やがて遠ざかる。
碧生は誰もいないレジで、自分の間違いを思い返した。恥ずかしさはあったが、逃げ出したいほどではなかった。あの人もきっと、夜の途中で言葉を間違えることがある。そんな根拠のない想像が残った。
製氷機が鳴った。
かち。
碧生は氷が落ちる前に、ほんの少し息を止める。
からん。
店はまた機械だけの静けさへ戻った。
あと二時間で朝番が来る。人生の説明はまだできない。それでも碧生は、カウンターの指紋を拭き、次の客のためにレシートをまっすぐ切った。
今夜の店を明るくしておくくらいなら、一人でもできそうだった。