試聴できない青
鳥居英茉は、青い輸入盤を手に取ってから、三度棚へ戻した。
「カナリア盤房」の鍵付きケースにあった、ポルトガルの無名バンドのシングル。群青色の紙に白い窓が一つ描かれ、曲名さえ読めない。未開封のため試聴不可。値段は、英茉が申し込んだリスボンの三か月研修、その予約金とほぼ同じだった。
もちろん、レコード一枚と渡航を比べているわけではない。
英茉は研修の合格通知を受け取ってから、現地の治安、家賃、失敗談ばかり検索していた。作品を作るための研修なのに、作品が作れる保証がない。会社へ休職願を出し、貯金も崩す。それだけ払って、何も変わらず帰る可能性もある。それが怖い。今夜中に予約金を払わなければ、権利は次の人へ移る。
「中身の確認はできますか」
店主は青い盤を受け取り、封を光にかざした。
「盤の反りは外から確認できます。音は、開けないと分かりません」
「外れかもしれない?」
「あります」
断言が潔かった。
英茉が購入を決めると、店主は返品条件をレシートの裏へ押印した。〈開封後返品不可〉。そのうえで、海を越えて届いたときの包み紙を捨てずに取り出し、同じ紙で巻き直した。外国の消印と、読めない住所が残っている。角だけ新しいテープで補強し、青い窓が隠れないよう紐をかけた。
店内では曲を聴けない。買って帰り、自分で封を切るしかない。
研修も同じだった。下調べを尽くしても、三か月後の自分を試聴する方法はない。
英茉はレジ台の端で予約画面を開いた。金額を確認し、カード番号を入れる。支払えば、青い盤を買う余裕はなくなる。
「すみません。やっぱり、これは戻します」
店主は嫌な顔をせず、紐をほどいた。新しいテープをそっと剥がし、青い盤をケースへ戻す。会計を取り消すキーを一度だけ押した。
英茉も、予約金の決済キーを一度だけ押した。残高の数字が減り、代わりに現地の住所と開始日が確定した。
〈手続き完了〉の文字が現れる。
何が鳴るか分からない青を、彼女は買わなかった。
代わりに、窓の向こうへ行く航空券の検索欄へ、出発日を入力した。