赤札が見えた朝
祭礼前日のパン工房には、三千個の注文が入っていた。
「粉は十分ある」
工房長は倉庫を見もせず言った。白い袋が壁まで積まれている。だが蓮が数えると、奥半分は空袋を詰めた飾りだった。実在する粉は、二千二百個分しかない。
追加を頼んでも、製粉所は祭礼注文で混んでいる。今からでは遅い。
蓮は黙って、五日前に倉庫の袋の間へ差しておいた赤札を抜いた。札が見える量まで減ったら、補充を発注する仕組みだ。見習いが三日前に赤札を見つけ、決めておいた注文票を製粉所へ届けていた。
「勝手なことを!」
工房長が怒鳴った瞬間、裏口に荷車の車輪音が止まった。
届いた粉は八百袋分。製粉所の主人が受領書を振る。
「赤札の注文だから先に挽いた。数量も時刻も書いてあって助かったよ」
蓮は粉袋を古い分から作業台へ回した。残量が再び赤札の位置を越える。職人たちは捏ね、分割し、窯へ入れた。
赤札には『八百袋』とだけ書いてある。見習いが量を考える必要はない。見えた時点で、その枚数の注文票を出す。多すぎて湿らせることも、少なすぎて窯を止めることもなくなる。
工房長は意地になって別の倉を調べた。油は黄色札まで二樽、塩は青札より上。蓮が一週間だけ試した三品は、どれも帳面の残量と一致していた。対して札のない蜂蜜は空壺が三つ紛れ、実数が半分しかない。
怒鳴り声の代わりに、工房長の喉が鳴った。
夜明け、広場には三千個の丸パンが並んだ。割れた表面から麦の香りが立ち、焼き色も揃っている。欠品はゼロ。余りは十二個だけだった。
工房長は昨日の帳面を開いた。いつもは足りなくなってから走り回り、高値で粉を買っていた。今月だけで緊急仕入れが四回。赤札を使った今回は、通常価格で一度きりだった。
祭礼委員が最初のパンを割り、満足そうに頷いた。
「来月の兵糧パンも、ここへ三万個頼みたい」
工房長が胸を張ろうとするより早く、委員は赤札を指した。
「ただし在庫管理は彼に任せる。蓮殿を王都共同窯の調達主任として契約する」
倉庫の白い袋の間で、次の赤札が静かに隠れた。