返さなかった指輪

昔の恋人から、結婚式の招待状が届いた。

十年前、彼の求婚を断った。理由は一つではない。仕事を辞めたくなかったし、彼の家族とうまくやれる自信もなかった。何より、迷いながら「はい」と言うのが怖かった。

式の前日、古道具店のショーケースに、返したはずの指輪があった。

店主に頼んではめると、鏡の中だけ、私が別の部屋に立っていた。

そこでは、求婚を受けた私が暮らしていた。

台所に子どもの絵、椅子には彼の上着。窓辺の写真には、若い二人の結婚式が写っている。

胸が詰まった。

けれど鏡の中の夕食は静かだった。

彼は疲れてスマートフォンを見ている。私は言いたいことを飲み込み、笑顔で皿を下げる。

次の場面では激しく喧嘩し、その次では肩を寄せて眠っていた。

幸福と不満が、洗濯物のように同じ部屋へ干されている。

鏡の私は、仕事机の引き出しから昔の社員証を出した。

今の私が続けてきた仕事だ。彼女は指で名前をなぞり、こちらを見た。

私は左手を上げた。指輪のない手。

彼女も左手を上げた。指輪の跡が白い手。

どちらが正しかったか、互いに聞かなかった。

たぶん答えは、暮らしの数だけ変わる。

店主が「お似合いですよ」と言った瞬間、鏡はただの鏡に戻った。

私は指輪を外した。

値札には、なぜか十年前の日付が書かれていた。

結婚式には出席した。

彼は穏やかな顔で、隣の人を見ていた。私は心から祝えた、と言えば嘘になる。けれど奪われた人生を見るのではなく、彼が新しく選んだ人生を見ることはできた。

披露宴の帰り、仕事仲間から電話があった。

長く保留にしていた共同事業の返事を求められた。

私はいつものように迷ったが、今回は迷ったまま「やります」と言った。

選択は、確信のある人だけがするものではない。

指輪を返した日も、電話に答えた夜も、私は不完全なまま道を選んだ。

古道具店は翌週なくなっていた。

鏡に残った自分の左手だけが、しばらく指輪の形に温かかった。

共同事業の開店日、私は看板を掛ける位置で仲間と一時間も揉めた。決めたあとも、反対側の方がよかった気がした。

それでも夕方、最初の客が扉を開けた。迷って選んだ場所に、知らない人の足音が増えていく。

私は左手でレジの鍵を回した。指輪のない指には、段ボールで切った小さな傷があった。選んだ暮らしが残す印は、白い輪だけではなかった。