退職面談の配信予定表
安西冴は、会社では「何時でも大丈夫です」と言う人だった。
急な残業も、休日の連絡も、笑って引き受ける。けれど金曜の夜だけはゲーム配信者〈サエジマ〉になり、視聴者へははっきり言えた。
「無理なクエストは断っていい。ゲームは逃げないから」
その言葉を、自分には一度も使えなかった。
年度末、三週続けて配信を休んだ。告知欄には謝罪が並び、待っていた視聴者から「仕事なら仕方ない」と優しい返信が届く。優しさが重くなり、冴は退職届を書いた。
面談の日、課長の前に退職届と引き継ぎ表を置いた。ところが表の裏に、印刷した配信予定表が紛れ込んでいた。
〈金曜二十一時 サエジマと迷宮攻略〉
〈日曜十六時 視聴者参加会〉
課長は紙を裏返した。
「これが副業?」
「趣味です。少し収益もあります」
「それで退職するのか」
「違います。仕事を続けると、これを続けられないからです」
口にした瞬間、自分でも驚いた。家族の事情でも体調でもない。ゲーム配信のために働き方を変えたいと言うのは、社会人として幼い気がしていた。
課長は退職届を見た。
「安西さんは、辞めたいのか。金曜に残業したくないのか」
「……金曜に残業したくありません」
「毎週?」
「毎週です。それと、休日の連絡当番を月二回までにしたいです」
〈サエジマ〉なら当然のように言える条件を、一つずつ並べた。
課長はしばらく予定表を眺めた。
「あなたが何を大切にするかは、会社が決めることじゃない。担当の組み替えが可能か確認する。ただし、無理なら退職届を受け取る」
「はい」
「あと、この紙は持ち帰って。題名が楽しそうで気が散る」
面談室を出ると、冴は予定表を胸に抱えた。退職を撤回できたわけではない。希望が通る保証もない。それでも初めて、辞めるか耐えるか以外の道を、自分で口にした。
その夜、配信の待機画面に短い告知を出した。
〈今週は予定どおり配信します〉
開始ボタンを押す前に、もう一行だけ足す。
〈私の予定も、予定として守ります〉
赤いランプが灯り、冴はいつもの声で言った。
「無理なクエストは、断っていこう」