通訳者の空席
証人は手話で語り、通訳者はその声になった。
港の倉庫で起きた密輸事件。唯一の目撃者は声を出せない作業員で、報復を恐れて顔も伏せた。事情聴取は二つの映像回線で行われ、一方の画面には白い手袋をした両手だけ、もう一方には通訳者の顔と肩だけが映った。通訳者が、手の動きを読み上げた。
最初の違和感は、証人が質問の終わる半拍前に答え始めることだった。通訳者は「読唇もできるのです」と説明した。二つ目は、証人も通訳者も、倉庫番号を「十三」ではなく「十と三」と表現することだった。珍しい言い回しだが、長く組んでいれば移ることもある。
証言によれば、密輸の指示を出したのは税関職員だった。日時、車両番号、隠し棚の位置まで正確で、捜索すると違法品が見つかった。職員は逮捕寸前だったが、私は映像を止め、手袋の動きを逆再生した。
職員は、告発者となる作業員に会ったことがないと主張した。勤務表には確かにその名があるが、顔写真は帽子とマスクで隠れ、給与口座は三か月前に開かれたばかりだった。倉庫仲間も「手だけなら覚えている」と言う。重い荷を運ぶ姿を見た者はいなかった。
証人の手話には、港の作業員なら使うはずの略号が一つもなく、通訳者が講習会で教えている標準表現だけが並んでいた。証言者が通訳者から習ったのか、それとも最初から同じ手だったのか。
証人の右手が画面の外へ消えるたび、通訳者の机から小さな布擦れの音がする。映像は上半身を映さず、机の下へ向けた別のカメラで手だけを撮っていた。しかも通信記録に、別室からの回線は存在しない。
私は聴取室の曇りガラスを開けた。証人の椅子は空だった。白い手袋は通訳者の膝の上にあり、足元のペダルで録画済みの質問を進めながら、机の下の両手を別のカメラへ映していた。
「証人を守るためです」と通訳者は言った。
「存在しない証人を?」
机の引き出しから、密輸品を税関職員の棚へ移した映像が出てきた。映っていた腕には、同じ白い手袋がある。
証人の言葉を通訳していたのではない。証人と通訳者という二人を、一人で演じていたのだ。
空席は最後まで、誰にも座られていなかった。