配膳口の空皿
料理評論家の千種譲が、料亭の個室から消えた。
千種は覆面記事で店を何軒も閉店に追い込んだ男だった。正午、老舗「千草庵」の奥座敷へ一人で入り、料理長の櫛引祐花、給仕の雨海敦志、女将の戸叶芙美が交代で膳を運んだ。廊下側の襖は雨海が見張り、庭側の障子は防犯格子で開かない。
十二時四十分、最後の甘味を下げようとすると返事がない。襖を開けた座敷には、箸も携帯電話もあるのに千種はいなかった。押入れは空、天井板は釘留め、床の間にも隠れ場所はない。
ただ一つ、壁の腰高の戸棚は厨房へ料理を送る古い配膳口につながっていた。櫛引は笑った。
「小皿用の昇降機ですよ。中は棚で三段に分かれ、大人など入りません」
私は戸棚の中を照らした。答えは三つにまとまった。
座敷には出汁と柚子の香りが残り、庭では水琴窟が鳴っていた。千種が食べた料理はどれも手つかずではなく、争った跡もない。力ずくで連れ去ったのではなく、本人が狭い場所へ入る理由を与えられたと考えるべきだった。
一つ。三段あるはずの金属棚が外され、留めボルト六本が座敷の花器の陰に置かれていた。
二つ。正午三十二分、昇降機の安全装置が七十四キロの過荷重を記録していた。通常の膳は多くても八キロだ。
三つ。昇降箱の上枠には、小麦粉のついた五本指の跡があり、小皿を置くだけでは届かない上枠の内側に付いていた。
雨海が「本人が、あれに乗ったというんですか」と目を丸くした。
「棚を外せば、膝を抱えた大人一人は入れます。安全装置は止めるだけで、箱を落としはしない。厨房側から櫛引さんが解除し、地下の食品庫まで下ろした」
千種は脅迫まがいの記事を材料に金を求めていた。櫛引は会話を録音させるため、警察官の待つ地下へ彼を誘導したのだという。
私は空になった甘味皿を戸棚へ戻した。
「壁を抜けたのではありません。昼膳と同じ経路で、ただし今日だけは皿の代わりに客が運ばれたんです」