鈴が三度鳴る夜
妻を亡くした男は、飼い猫が妻の椅子から動かないことに腹を立てていた。
食事のときも、夜も、空の座面で丸くなる。
「待っても帰らない」
そう言って抱き下ろしても、すぐ戻る。
ある夜、猫の首輪の鈴が三度鳴った。
男は猫の体に、猫は男の体に入れ替わった。
夜明けまで戻らないらしい。
猫の体になった男は、椅子へ飛び乗った。
そこには妻の匂いが残っていると思っていた。
だが布からするのは自分の匂いだった。
妻の死後、毎晩ここへ座り、眠れず朝を待った自分の匂い。
猫が待っていたのは妻ではなく、男だった。
一方、男の体に入った猫は冷蔵庫を開けようとして失敗し、妻の写真へ向かって、
「餌」
と言った。
人の口で最初に出た言葉がそれで、男は猫の体で笑った。
猫は男の手を使い、戸棚の奥から妻の古い毛糸を引っぱり出した。
その中に、小さな鼠の玩具があった。
妻が猫へ作りかけた物らしい。
猫は写真へ玩具を押しつけ、
「これ、途中」
と不満そうに言う。
男は、悲しんでいるのは自分だけだと思っていた。
猫にも、突然いなくなった手と、完成しなかった遊びがあった。
けれど猫は妻を永遠に待っているのではない。
途中の物を今いる男へ渡し、続きを要求していた。
二人で毛糸を結ぼうとした。
猫の体の男には指がなく、男の体の猫は結び方を知らない。
夜じゅう失敗し、ぐちゃぐちゃの鼠ができた。
猫は男の体でそれを床へ投げ、自分で追いかけようとして机へ膝をぶつけた。
男は笑いすぎて、猫の喉を長く鳴らした。
夜明け、体が元へ戻った。
猫は新しい玩具へ飛びつき、すぐ縫い目を裂いた。
男は腹を立て、また声を上げて笑った。
妻の椅子は、その日から食卓へ戻した。
猫専用にはしない。
男が座り、猫は膝へ乗る。
ときどき猫は空の座面を見つめる。
男も同じ方向を見る。
何かが見えているとは思わない。
ただ二人とも、いなくなった人の途中から、今いる相手へ遊びを渡されたことを知っている。
鈴はその後、何度三回鳴っても入れ替わらない。
代わりに男が椅子へ座ると、猫がすぐ来る。
待つ時間を一匹へ任せないためだった。