銀の靴は拍手を食べる
王都舞踏団の最終審査を前に、ベアトの左足首は腫れていた。
昼は洗濯場で働き、夜に稽古する生活を続け、昨日ついに階段で足をひねった。治癒師は一月休めと言った。けれど、審査は今夜だけ。合格すれば弟を学校へ通わせられる。落ちれば、宿代さえ来月まで持たない。
弟ユーンには、寄宿学校の合格通知が届いていた。入学金の欄だけを折って隠し、「行かなくてもいい」と笑った顔を、ベアトは見ている。舞踏団の給金なら、その紙をもう一度開かせられる。
劇場裏の露店で、銀の靴が月明かりを弾いていた。
「これなら踊れますか」
靴売りは頷いた。
「一度だけ、痛みも迷いもなく完璧に踊れる。代金は、あなたが初めてもらった拍手の記憶だ」
それは立派な舞台ではなかった。
十二歳のベアトが洗濯場の板を舞台にして回り、七歳の弟ユーンが石鹸箱へ座って手を叩いた。左右の手がずれて、ぱた、ぱた、と妙な音がした。
――姉ちゃん、もう一回。
観客は一人。衣装は濡れた仕事着。それでも、あの拍手があったから、ベアトは踊る人になった。
母を亡くしたばかりの二人には、笑う理由が少なかった。弟が「もう一回」と言うたび、ベアトは洗濯籠を避けて回った。その夜だけ、狭い部屋が劇場になった。翌朝から彼女は、仕事帰りに無料の稽古場を覗くようになった。
「最初でなく、今日の拍手を後払いにはできませんか」
「最初の拍手だけが、足を前へ出す力を知っている」
舞台袖から審査開始の呼び声が響く。
ベアトは腫れた足を見た。弟は客席に入れず、裏口で待っている。合格したら、今度こそ本物の席から見せると約束した。
銀の靴へ足を入れる。
洗濯場の湿った木の匂いが蘇った。幼い弟が両手を上げる。ぱた、ぱた。その不揃いな音が靴底へ吸い込まれ、消えた。
靴紐がひとりでに締まる。痛みがなくなる。
「姉ちゃん!」
裏口の向こうからユーンが呼んだ。
ベアトは振り返った。なぜか、その声を聞くと踊らなくてはいけない気がした。
舞台の幕が上がる。
彼女は最初の一歩を踏み出した。