錆びた鍵の持ち主
百年続く劇場の稽古場に、作業着姿の老人が入ってきた。瀬名玄路と名乗り、錆びた鍵束を腰に下げている。
新任の制作責任者は、舞台図を広げたまま顔も上げなかった。
「古い大道具は全部処分する。倉庫番は今日で終わりだ」
老人は舞台袖の柱を撫でた。
その柱には、歴代の公演ごとに小さな印が刻まれていた。老人は暗がりでも、どの印が火災後の補修で、どれが震災の翌年かを言い当てた。制作責任者は「傷だらけでみすぼらしい」と化粧板を張るよう命じたが、私はその裏に避難扉の開閉ワイヤが通っているのを知っていた。説明しても、古い劇場は写真映えしないの一言で終わった。
老人は柱の奥から細い赤線を見つけた。消防検査で残された荷重限界の印だった。新しい可動床は、その線を越える重さだと私は気づいたが、責任者は計算書を見ようともしなかった。
「この吊り機構は、上段を先に外すと梁がねじれます」
「昔話はいらない。今は海外式の演出だ」
責任者は、老人が守っていた手描きの舞台帳をゴミ箱へ投げた。私は照明助手として、その帳面に過去の事故や補修位置が記されていることを知っていた。拾おうとすると、老人が目で制した。
午後、主役を乗せる巨大な可動床が試運転された。床は中央でわずかに沈み、異音を立てた。老人が非常停止を押すと、責任者は怒鳴った。
「本番前に勝手なことをするな。警備を呼べ」
老人は鍵束から一本を選び、誰も開けられなかった舞台下の扉を開いた。中には創建時の梁と、劇場財団の紋章が刻まれた定礎箱があった。
その夜、スポンサーと理事が客席に集まった。責任者が新演出を説明しようとすると、財団の弁護士が遮った。
「上演許可と建物使用権の確認を行います」
老人が作業帽を取る。理事全員が立ち上がった。
「瀬名玄路理事長。創設家の現当主であり、この劇場と上演権の最終管理者です」
瀬名は錆びた鍵を机に置いた。
「まず、舞台を壊しかけた人間に鍵を預ける資格があるか決めましょう」