鍵を三つに増やす
菜摘は鍵を一つにまとめる派で、妹の玖美は鍵ごとにキーホルダーをつける派だ。玄関の小皿には、銀色の鍵と、熊と、蛍光ピンクの輪がいつも絡まっていた。
ある夜、玖美が帰ってこなかった。メッセージには『友達の家』とだけある。菜摘は寝るつもりで電気を消したが、ドアの外で足音が止まるたびに目が開いた。
朝五時、玖美はタクシーで帰った。頬に指の跡があった。理由を聞く前に、菜摘は玄関の鍵を閉めた。玖美は「大丈夫」と言った。大丈夫と言う人の声ではなかった。
「警察に行く」
菜摘が言うと、玖美は首を振った。
「まだ何も決めてない」
「決めることじゃない」
「姉ちゃんはすぐ決める。私は、すぐ決められない」
菜摘は、決めない時間が危ないと思う。玖美は、決めろと言われること自体が怖いのだと思う。互いの正しさが噛み合わず、玄関の空気が重くなった。
昼、菜摘は鍵屋に電話した。玖美は「勝手に変えないで」と言った。菜摘は受話器を手でふさぎ、「変えるんじゃない。増やす」と答えた。
夕方、補助錠が一つ増えた。鍵は三本。菜摘、玖美、そして小皿に置いておく予備ではなく、近くに住む叔母に渡す一本。玖美は最初、嫌そうな顔をした。けれど鍵屋が帰ったあと、自分で蛍光ピンクの輪を新しい鍵につけた。
「叔母さんには、私から言う」
「うん」
「何を言うかは、私が決める」
「うん」
菜摘は頷くだけにした。夜、二人は玄関のチェーンをかけた。菜摘が上の鍵を、玖美が下の鍵を回した。音は二回鳴った。完全に分かり合った音ではなく、同じドアを内側から守る音だった。
叔母の家へ鍵を持っていく道で、玖美はずっと黙っていた。菜摘は歩幅を落とした。早く済ませたい気持ちと、急かしたくない気持ちが胸でぶつかった。叔母のドアの前で、玖美が鍵を差し出した。菜摘はその下に手を添えただけだった。
夜、菜摘は玄関の小皿を片づけた。玖美は熊のキーホルダーだけ残した。可愛さは不要だと菜摘は思ったが、怖いドアに少しだけ可愛さがあるのも悪くなかった。