雪壁を支えた足枷
北境の砦を守る結界は、聖女フィオナの右足につながっていた。
鉄の足枷から雪原へ鎖が伸び、砦の礎石へ埋め込まれている。彼女が一歩でも門外へ出れば結界が反転し、本人を焼く。守備隊長はそれを「聖なる任務」と呼んだ。
魔獣の大群が迫った夜、傭兵団長ガルムは砦へ雇われた。
「聖女を中央塔へ運べ。結界を最大にする」
守備隊長の命令で兵がフィオナを引きずる。足首は血まみれだった。
ガルムは魔獣ではなく、礎石の前にしゃがんだ。鎖を固定する一本の杭を見つめる。
「抜けば結界が消えるぞ!」守備隊長が怒鳴った。
「そうだな」
「砦の全員が死ぬ!」
「全員に、あの人は含まれていないのか」
ガルムは大剣を杭の隙間へ差し込み、てこのように持ち上げた。
杭が抜ける。
雪原を覆っていた光壁は、音もなく消えた。同時にフィオナの足枷が割れ、鎖が雪へ沈む。
守備隊長は剣を抜いた。
「裏切り者!」
「契約相手が動けない状況で結ばせた守護誓約は無効だ。北境法の第一条くらい覚えておけ」
ガルムは門を開けた。砦の内側には、兵だけでなく避難民が百人いる。
「結界なしでどうする」
「逃げる。生きて次を選ぶ」
彼は荷車を先頭に出し、傭兵たちを最後尾へ置いた。フィオナには南へ向かう馬を渡す。
「あなたは?」
「時間を稼ぐ」
「私に守れと?」
「頼んでいない。自由になったばかりの人へ、最初に死ねとは言えない」
フィオナは馬を走らせた。
魔獣の群れが近づく。ガルムたちが狭い谷口で盾を構えたとき、頭上に白い光が広がった。
砦を守っていた壁とは違う。避難民の列を包みながら動く、柔らかな結界だった。
馬を返したフィオナが、ガルムの横へ降り立つ。
「なぜ戻った」
「足枷は砦に置いてきました」
「なら逃げられた」
「はい。逃げられる私が、戻ると決めました」
彼女は拾った鎖の先を、ガルムへ差し出す。だがその輪を彼の手首にはめるのではなく、大剣の柄へ巻き、滑り止めにした。
「あなたは私を壁にしなかった。だから私は、あなたの背中を守る盾になります」
「命令はしないぞ」
「お願いなら聞きます」
ガルムは笑い、谷口へ向き直った。
フィオナの右足は自由に雪を踏み、その光壁もまた、彼女の歩みに合わせて前へ進んだ。