電球ひとつぶん
台所の天井には電球が二つあり、そのうち一つが月曜日から切れていた。
もう一つは点く。料理もできるし、洗い物もできる。ただ、まな板の右半分に影が落ちる。私はその影を見るたび、早く交換しなければと思った。
火曜日に家電量販店へ寄り、口金のサイズをスマートフォンで確認しながら電球を買った。水曜日は袋のまま鞄に入れて帰った。木曜日にようやく台所へ置いた。金曜日の夜、食卓の端に白い箱がある。
交換には椅子を運び、古い電球が冷えているか確かめ、新しいものを割らないよう回すだけだ。五分もかからない。その「だけ」が、一週間ずっとできなかった。
母に言えば、脚立を買いなさいと言うだろう。友人に言えば、遊びに行くついでに替えるよと笑うかもしれない。頼めないわけではない。ただ、電球一個のために誰かを部屋へ呼ぶと、床の髪の毛や流しの皿まで説明しなければならない気がした。
仕事から帰った私は、スーパーの焼きうどんを温めた。容器の隅は熱いのに、中央は冷たい。混ぜてもう一度温める気になれず、そのまま食べる。
影の中に、切ったままの電球が沈んでいる。白い箱には「長寿命」と書いてあった。その横には、購入日の印字されたレシートがまだ挟まっている。私より先の予定まで約束しているみたいで、少し腹が立った。
私はリビングの床に置いていた小さなクリップライトを持ってきた。読書用に買ったものだ。棚の取っ手へ挟み、まな板ではなく食卓を照らす。丸い光の中に、焼きうどんと箸と、未開封の電球の箱が入った。
部屋全体は明るくならない。台所の影も残ったままだった。それでも麺の焦げ目が見え、紅しょうがの赤も分かった。
電球を替えない自分を責めるために、毎晩暗さを数えていたのかもしれない。私は箱を戸棚の上へ移した。土曜日に替えるかもしれないし、来週になるかもしれない。
クリップライトの光は狭い。その狭さの中で夕食を食べ終え、私は空の容器を重ねた。今夜に必要な明るさは、電球ひとつぶんより少なかった。