青海苔のつく指
宇佐見公哉が「宵町」の戸を開けると、店主は揚げ鍋へ火を入れた。
「磯辺揚げだろ。青海苔、多め」
公哉は四年前、転職で町を離れた。今夜は大学時代の友人の結婚式に出るか迷い、会場の近くまで下見に来た帰りだった。そんな事情を知らない店主が、昔と同じちくわを切っている。
衣をまとった輪切りが油へ落ち、細かな泡が弾けた。青海苔の香りが熱い油の匂いへ重なり、皿へ上げられた衣から薄い湯気が立つ。指でつまむと表面はさくりと割れ、中のちくわは弾力を残していた。
招待状の返信期限は明日だ。
友人たちには、まだ前の会社で働いていると思われている。本当は三か月前から休職中だ。朝、駅まで行くと息ができなくなり、それ以来、会社の近くへも行けていない。式へ出れば、仕事の話をされる。近況を笑ってごまかせる自信はない。
欠席に丸をつける理由なら、忙しいで済む。けれど新郎は、就職浪人だった公哉に毎週電話をくれた人だった。招待状には手書きで、久しぶりに四人で座ろう、とあった。
クローゼットには、式へ着ていくつもりで買った紺のスーツが掛かっている。値札は外したのに、袖を通せずにいた。欠席理由の欄には一度「海外出張」と書いた。行ったことのない国名まで考えている自分に気づき、返信を閉じた。
「青海苔、歯につくぞ」
店主が言った。
「前も言われました」
「なら鏡、見ればいい」
店主はそれ以上、恥ずかしさを代わってくれなかった。
公哉は返信用の画面を開き、出席を選んだ。そのまま新郎へ一通送る。
〈今、仕事を休んでる。うまく話せないかもしれないけど、それでも行っていいか〉
病名も理由も書かなかった。返事が優しすぎてもつらいし、戸惑われるのも怖い。式の当日に席へ座れるかは、まだ分からない。
それでも、忙しいという嘘で空席を作るのはやめる。
最後の磯辺揚げは冷めても軽く、青海苔の香りだけは強かった。指先についた緑の粉を払わずにいると、油の温かさがゆっくり薄れていった。