駅前十五分の傘
面接の十五分前、駅前カフェの傘立てから、萩尾結里亜のベージュの傘が消えた。
代わりに残っていたのは、黒い傘。結里亜が使った番号札の「六」が、持ち手に掛かっている。
店内で傘立てへ近づいたのは、バリスタの峰尾陽介、駅員の狩野理久、先に店を出た客の南部杏だけだ。南部は黒いコートに黒い鞄で、どんな傘を持っていたか誰も覚えていない。
黒い傘の先には、駅構内の青い床材が小さく付着していた。番号札の紐には、ベージュの革片が挟まっている。レジ脇には、南部が落としたらしい隣町までの切符が一枚残されていた。
取り違えたのは南部だ。だが、結里亜がそれを指摘すると、峰尾は黒い傘を差し出した。
「これ、僕のです。使ってください」
「南部さんの傘は?」
「駅員さんに預けました。あなたの傘は、今取りに行ってもらっています」
峰尾は南部がベージュの傘を持って出るのを見て、声をかけた。だが彼女は発車ベルに気づき、走って改札へ入った。事情を聞いた狩野が次の駅へ連絡し、傘だけ折り返しの電車で戻すことになった。
「どうして、すぐ教えてくれなかったんですか」
「知ったら、傘を待つでしょう」
峰尾は、結里亜の机に広げた応募書類を見た。
「十五分後の面接より大事な傘なら別ですけど」
結里亜はこの会社を受けるか、昨夜まで迷っていた。今の職場を辞めるのが怖くて、志望動機をカフェで何度も書き直した。峰尾は注文のたび、何も聞かずに白湯を足してくれた。
黒い傘は大きく、少し重かった。結里亜が入口で開くと、峰尾が紙カップを差し出した。飲みかけのラテを持って走れないと思っていたら、蓋を新しく替えてくれている。
「傘は戻ります。面接の時間は戻らない」
結里亜はうなずき、雨の中へ出た。
一時間後、カフェへ戻ると、ベージュの傘が番号六に掛かっていた。南部からの短い謝罪メモもある。峰尾は黒い傘を受け取り、結果を聞かなかった。
結里亜は冷めかけたラテを一口飲んだ。
「次は、合格祝いを注文します」