『消えた一行の作成者』
製品事故の緊急朝礼で、技術者の八雲壮介は解雇を告げられかけていた。
匿名通報にはこうあった。
〈八雲は電池の発熱異常を知りながら、点検表から警告を消した〉
事業部長の磯谷剛志は全員を見渡した。
「隠蔽は個人の判断だ。会社は厳正に処分する」
品質保証の舟木千尋が、通報に添付された画面をスクリーンへ映した。現在の点検表には異常なし。だが画像の端には、消された一行が薄く残っていた。
〈第三試験で規格上限を超過。出荷停止を提案〉
磯谷は、それを八雲が後から作った偽の証拠だと言った。
舟木は版履歴を開いた。事故の十二日前、八雲がその一行を入力し、磯谷をCCにして出荷停止申請を送っている。翌朝六時四十分、磯谷のアカウントが一行を削除し、申請メールを〈検討不要〉フォルダへ移していた。
「私のアカウントを誰かが使った」
「では匿名通報の画像を、誰が作れたのでしょう」
画像は削除前と削除後を重ねた比較表示だった。その機能を使った履歴は一件だけ。事故公表の前夜、磯谷の端末から実行されている。匿名窓口への投稿も同じ端末だった。
八雲が顔を上げた。
「自分で通報して、僕が消したように見せたんですか」
事故が避けられないと知った磯谷は、先に「技術者の隠蔽」という筋書きを作った。通報文には、八雲しか知らないはずの試験番号が記されていたが、それもCCされた停止申請に書いてあった。
舟木は処分案を閉じた。
「八雲さんの解雇審議は中止します。出荷停止を申請した功績を評価記録へ戻します」
社長代理が磯谷へ向き直る。
「事業部長職は本日付で解きます」
舟木は事故対策会議の録音も再生した。磯谷は公表前夜、〈匿名情報が出れば八雲個人の改竄として説明する〉と口にしていた。録音の自動文字起こしは会議室予約へ添付され、削除しても保存期限内だった。朝礼に並ぶ技術者たちは、八雲が十二日間、停止申請を繰り返していた送信履歴も見た。沈黙していたのは八雲ではなく、申請を受け取った側だった。
点検表から消えた一行は、八雲の名誉と一緒に復元された。