『退職面談の録音ボタン』
小谷野夕佳の退職面談は、開始から十分で終わるはずだった。人事の樋渡善は理由を聞き、直属部長の三輪珠緒は「家庭の事情です」と先回りした。
「本人から聞きます」
樋渡が言うと、夕佳は机の中央にある会議用端末を見た。赤い録音ランプが点いている。
「退職理由は、私の企画書を三輪部長が自分名義で役員会へ出したからです」
三輪はため息をついた。
「またその話? 共同制作だったでしょう。あなたの感情的な思い込みです」
夕佳は、地域の小学校と物流倉庫を結ぶ職業体験企画について説明した。初稿は自分、三輪は一度も会議へ来なかったという。
「証拠はあるの」
「この部屋の予約履歴です」
樋渡が画面を開く。企画会議は六回、予約者はすべて夕佳。参加者欄には現場担当と学校教員が並び、三輪の名はない。自動作成された議事録には、夕佳の説明へ教員が質問し、彼女が即答するやり取りが六回すべて残っていた。三輪が資料を初めて開いたのは、役員会前日の録音開始から四分後だった。
「予定表に名前がなくても、口頭で指示はできるわ」
三輪の反論に、夕佳は録音ランプを指した。
「役員会の前日、この同じ部屋で部長と話しました」
会議端末は予約開始と同時に自動録音され、ファイルは三十日保存される。樋渡が履歴を探すと、二十五分の音声が残っていた。再生すると、三輪の声が響く。『明日は私が説明する。役員は若手の名前だと企画を軽く見るから、作成者欄は消しておいて』。
三輪は端末へ手を伸ばしたが、樋渡が閉じた。三輪はそこで初めて黙った。
「これは切り取りよ。事業を通すための方便だった」
「通った後も、私の名前は戻りませんでした」
夕佳は退職届を押し出した。
樋渡は受け取らず、録音停止ボタンを押した。
「小谷野さんの退職手続きを保留します。企画室への異動と係長登用を審議します。三輪部長には、別室で懲戒面談を受けてもらいます」