百二十円のレシート
萩波ドラッグの決算会議で、店舗アルバイトの尾白鉄平は制服のまま立っていた。
会社は旧式プリペイドカードの未使用残高六億二千万円を、今期の利益へ振り替える予定だった。三月三十一日で全カードを失効させたため、返金義務も利用義務も消えた、という説明である。
「システム停止記録もあります」
経理部長が画面を示した。停止時刻は三月三十一日午後十一時五十九分。
鉄平はポケットから、しわの寄ったレシートを出した。旧カードを持ってきたのは、毎朝同じ缶コーヒーを買う高齢客だった。本部の指示どおり断ろうとしたが、端末は残高を表示し、いつもどおり決済音を鳴らした。鉄平は確認のため、自分でも百二十円を使った。
「四月二日に使えました」
金額は百二十円。夜勤明けに自分で買った缶コーヒーだった。
「店舗端末の設定漏れだ」
「全国一斉停止では?」
鉄平は、客に謝ってカードを預かるよう指示されたが、預り証の様式も返金窓口も用意されていなかった。止めたのはカードではなく、客からの問い合わせだけだった。
「一台の例外で会計処理は変わらない」
鉄平はレシートの取引番号を読み上げた。経理担当が検索すると、同じ端末だけで四月以降三百十七件、旧カードが使われていた。しかも本部はそれを把握し、売上データとして受け取っている。
「利用できるカードを失効済みとして、残高を利益にしたんですか」
財務担当役員が苛立った声を出した。
「利用規約では三月末失効だ。客が知らずに使えただけだ」
「規約のどこですか」
鉄平はカード台紙を開いた。旧式カードには有効期限を設けない、と印刷されている。失効には利用者への個別通知と残高払戻しが必要だったが、どちらも行われていない。
社長は百二十円のレシートをつまみ上げた。
「こんな紙切れで六億を止める気か」
監査役が答えた。
「六億を動かした根拠が、午後十一時五十九分の一行だけだからです」
鉄平のレシートには、四月二日午前六時十二分とある。停止記録より後だ。
議長は利益振替の決裁票から社長印を外し、朱肉の蓋を閉めた。
「払戻し義務が残る。六億二千万円の振替は中止」