まな板の四拍子
宮前が帰宅するころ、隣室では包丁の音が始まる。
とん、とん、とん、とん。少し間が空き、また四回。速すぎず、迷いもなく、同じ幅でまな板を叩く。換気扇が回ると、ごま油や生姜の匂いが廊下側の通気口から薄く入ってくる。
今夜は雨で、窓の外の車が水をはねていた。部屋の空調は乾いた風を送り、台所の蛍光灯は青白い。宮前はコンビニの袋を机へ置き、スマートフォンを伏せた。
実家の家族チャットには、夕食の写真が届いていた。
父の誕生日。丸いテーブルに餃子が並び、母と姉の手だけが写っている。宮前は週末に帰ると言っていたが、月曜の会議資料が終わらず、昼に断った。父からは、気にするな、と短い返事が来た。
隣の包丁が四回鳴る。
宮前の袋には、サラダと冷たいおにぎりが入っている。温める必要も、皿へ移す必要もない。効率がいい。けれど家族の写真を見たあとでは、透明な蓋が急に遠く感じられた。
写真の端には、宮前が子どものころ使っていた欠けた小皿も写っていた。新しい食器に替えればいいのに、母は餃子のたれをいつもそこへ入れる。家族の食卓は、誰か一人が欠けても、古い皿を使いながら続いていく。冷蔵庫を開けると、先週買ったトマトが一つ残っていた。少し柔らかい。宮前はまな板を出し、包丁を握った。
一度目は大きすぎた。二度目は斜めになった。隣のような四拍子にはならず、とん、間、とんとん、と不揃いな音が台所へ落ちる。
壁の向こうの包丁が止まった。
こちらの音が聞こえたのかもしれない、と宮前は思った。けれどすぐに水道が流れ、フライパンへ何かを入れる音がした。向こうは向こうの夕食を続けている。
宮前は切ったトマトへ塩を振った。おにぎりを皿へ出し、電子レンジへ入れる。回転皿の低い音と換気扇が重なり、雨は窓を細かく叩いた。
家族チャットへは、明日電話するとだけ送った。今夜すぐ埋められない席は、そのままでいい。
不揃いなトマトを一切れ口へ入れる。少し熟れすぎた甘さがした。隣の四拍子はもう聞こえず、代わりに自分の箸が皿へ触れる音が、静かな部屋に残った。