クロークに残った推し色コート

片瀬柚葉の会社服は、白、黒、灰色の三色でできている。

けれど舞台遠征の日だけは、推しが演じる魔女の色に合わせた紫のコートを着る。裏地に星を縫い、襟の内側へ劇中の台詞を刺繍した。客席では褒められるそのコートも、会社の人に見られたら仮装だと思われそうで、月曜は必ずホテルから宅配便で自宅へ送っていた。

裁縫は得意ではなかった。何度も縫い直し、星の一つは少し歪んでいる。それでも袖を通すと、遠い劇場へ一人で向かう勇気が出た。柚葉にとっては仮装ではなく、平日の自分を置き去りにしないための服だった。

名古屋公演の翌日、同じ市内で取引先との合同研修が入った。朝、ホテルの鏡の前で黒いパンツスーツへ着替えると、紫だけが部屋に取り残されたように見えた。宅配の時間がなく、柚葉はコートを裏返しに畳み、会場のクロークへ預ける。番号札さえ人に見せないよう、名刺入れの裏へ隠した。

研修終了後、番号札を渡すと、係員が持ってきたコートを隣の女性部長へ差し出した。

「こちらでよろしいですか」

部長は会社では紺のスーツしか着ない人だ。紫の布を見て否定すると思ったが、柚葉より先に受け取った。

「ええ、私のです」

周囲が去ってから、部長はコートを柚葉へ返した。刺繍の台詞を指先でなぞる。

「昔、この作品の初演を観たの。私は敵役の緑を着て行った」

部長のスマホには、二十年前の劇場前で緑のマフラーを巻いた写真が残っていた。柚葉が恐れていたのは趣味への軽蔑だったが、守ってくれた人にも、隠している色があった。

翌朝、会社の最寄り駅は冷たい雨だった。柚葉はいつもの黒いコートを手に取り、少し迷って戻した。

紫のコートで出勤すると、エレベーターの鏡に、普段より大きな自分が映った。襟の刺繍は見えない。それでも星の裏地を知っているだけで、背筋が伸びる。

扉が開き、女性部長が乗ってきた。今日は深い緑のスカーフを巻いている。

二人は何も言わず、それぞれの色のまま執務室へ入った。