ラベルの裏側

冷凍庫から出した試料には、二種類のラベルが重なっていた。

上は〈治療群〉。剥がすと下から〈対照群〉が現れた。

「見なかったことにして」

久世橋景虎は白衣のポケットへ手を入れたまま言った。

「次の発表で結果が出なきゃ、研究所が終わる。成功に見せて資金を取れば、本当の成功は後から作れる」

景虎は研究所を設立した大学教授の息子だった。実験にはほとんど来ないが、論文の筆頭著者には必ず名前があった。私は試料管理の契約職員で、彼からは「冷凍庫番」と呼ばれていた。

私はラベルを戻さず、二枚とも封印した。冷凍庫の温度記録、印刷時刻、試料を運んだ台車の番号まで複写した。契約職員に調査権限はない。それでも、失敗した実験を失敗したまま残すことが研究の最低条件だと、最初に教えたのは教授本人だった。

景虎はその夜、成功祝いと称して研究室の酒棚を開けた。私は誘われなかった。代わりに、翌朝までかけて百二十本の試料番号を照合した。貼り替えは一つではなく、結果の悪い群すべてに及んでいた。

三日後、助成機関の監査が入った。景虎は成果発表の壇上で、画期的な有効率を語った。質疑の途中、監査官が私を呼んだ。

保管庫の入退室記録、ラベルプリンターの履歴、実験ノートを並べると、数字の入れ替えは一目で分かった。さらに教授が、息子を著者へ加える代わりに研究費を私的企業へ流していた証拠まで出た。

教授は私を指さした。

「契約職員が勝手に試料を触った」

監査官は冷静に返した。

「紀伊國晶さんの封印がなければ、不正は立証できませんでした」

助成機関は研究費を凍結した。だが共同開発企業の代表が立ち上がった。

「研究自体は続けます。条件は、紀伊國さんを正式な品質責任者とし、久世橋親子を外すことです」

理事長が即座に決裁した。

「教授は理事を辞任。景虎氏は研究不正と職務実態の不存在により懲戒解雇。紀伊國さんを正職員として採用し、管理権限を移します」

景虎は冷凍庫を開けようとした。

認証画面には、見慣れた一文だけが出た。

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