三百円の傘
伊吹は共有財布のレシートを日付順に並べる。瑠美は、財布に小銭があれば使っていいと思っている。
その夜も、六百円をめぐって口論した。
「洗剤は特売まで待てたでしょ」
「切れてたんだから仕方ないじゃん」
「立て替えと共有支出は違うの」
共有財布には、食費と日用品費しか入れない約束だった。親切をどの費目に入れるかは、決めたことがない。
二人は空腹のままスーパーを出た。外は急な雨で、二人とも傘を持っていない。入口脇の自動販売機では、透明傘が一本三百円で売られていた。
屋根の端に、宅配便の制服を着た女性が立っていた。荷台の小さな自転車を押し、端末をビニール袋で包んでいる。雨脚が弱まるのを待っているらしいが、荷物の箱はすでに濡れ始めていた。
瑠美が共有財布を開く。
「一本買って渡そう」
伊吹は反射的に言った。
「会社の装備でしょ。私たちが払うことじゃない」
女性は電話口で何度も謝っていた。次の配達が遅れる、と説明している。端末を握る指が冷え、うまく反応しないらしい。瑠美は財布から百円玉を二枚出したが、一枚足りない。
伊吹はため息をつく。正しさを言えば、会社が用意するべきだ。けれど正しい会社が迎えに来るまで、箱は濡れる。
伊吹は自分の小銭入れから百円を足した。
傘が落ちる音がした。瑠美が女性へ走っていく。伊吹は残った三百円で、もう一本買った。
「これ、使ってください」
女性は驚き、会社に請求できないと言った。
「請求じゃないです。返さなくていいです」
瑠美が傘を渡す。伊吹は二人分の買い物袋を持ち直した。自分たちは一つの傘に入ればいい。
帰り道、瑠美の肩は濡れ、伊吹の買い物袋から長ねぎが飛び出していた。傘を渡したことを美談にする気はなかった。女性の会社が用意すべきだったという伊吹の意見も、目の前で困っているなら先に渡すという瑠美の意見も、残ったままだ。
家計の考え方は変わらない。洗剤代の扱いも、帰ったら決め直す。
玄関で伊吹は二枚のレシートを共有財布の封筒へ入れた。瑠美が「寄付」と書き、伊吹がその横に「二人分」と書く。
二人は同じ欄へ、それぞれの印を押した。