亀時計店の十五分

 峯岸玄季は、腕時計を五分進めてもらうため「一刻時計店」を訪れた。

 店主は陸亀の一刻。背の甲羅に拡大鏡を載せ、人間の若い職人が小さなねじを受け取っている。

「時計は合っています」

 一刻は玄季の腕時計を見て言った。

「だから五分、進めたいんです。いつもぎりぎりになるので」

「時計に嘘をつかせる?」

「実用的な嘘です」

 玄季はイベント会社で働き、時間に追われていた。開場、撤収、搬入。何分早く動いても、次の予定が前へ詰められる。最近は休日の待ち合わせにも走っていた。

 一刻は裏蓋を開けた。

「油が少し乾いています。十五分、預かります」

「その間に買い物を」

「座って待つのが修理代に含まれます」

「そんな時計店あります?」

「ここです」

 窓際に、低い椅子と砂時計があった。人間の職人が焙じ茶を置き、一刻は作業台へ戻る。

 玄季は携帯を出したが、店内には電波が届きにくい。仕方なく砂の落ちる様子を見る。

 壁の時計は一つずつ違う音で鳴った。こつ、かち、ちん。茶から香ばしい湯気が上がり、古い木と機械油の匂いに混じる。

「十五分は長いですか」

 一刻が訊いた。

「何もしないなら」

「時計は、その何もしない間も働きます」

「私は時計ではないので」

「なら、なおさら休めます」

 砂が半分落ちたころ、玄季は肩が上がっていることに気づいた。息を吐き、背を椅子へ預ける。

 窓の外では、買い物帰りの親子が信号を待っていた。子どもは水たまりを避けず、母親も急かさない。青になってから、二人はゆっくり渡った。

「終わりました」

 一刻が時計を差し出した。針は正しい時刻を示している。

「五分は?」

「進めていません」

「頼んだのに」

「代わりに、家を五分早く出てください」

「難しい修理ですね」

「時計より人間の方が、ねじが少ないので簡単です」

 翌週、玄季は待ち合わせへ十分早く着いた。走らず来たので、珈琲の香りを店先で嗅ぐ余裕があった。

 友人を待つ十五分は、時計店ほど長くなかった。

 数日後、一刻時計店へ礼を言いに寄ると、店主はちょうど昼寝をしていた。人間の職人が声を潜める。

「起こしますか」

「いえ、待ちます」

 玄季は窓際の椅子へ座り、焙じ茶を頼んだ。壁の時計はそれぞれの速さで音を刻み、甲羅の上には午後の光が温かく積もっていた。