二番目の飼い主
動物病院の受付が閉まるまで、あと十五分だった。
菜緒は診察台の上で丸くなる黒猫を押さえ、拓真はマイクロチップの登録用紙を書いていた。二年前、雨の駐車場で拾った猫だ。菜緒の部屋はペット不可、拓真は出張が多い。結局、月の半分ずつ預かる奇妙な共同生活になった。
「主たる飼い主、菜緒でいい?」
「うん」
「二番目の連絡先は?」
「拓真」
「続柄って何て書くんだろう」
「友人でしょ。猫のための」
最近、拓真がペット可の部屋へ引っ越すと言い出した。菜緒の駅から徒歩十分。二人で暮らせる広さだと聞いたとき、うれしいより先に怖くなった。
恋人になって別れたら、この猫はどちらを選ぶのか。
日曜日の受け渡しも、写真を送り合う夜も、失いたくなかった。だから二人の間にあるものは、全部「猫のため」と呼んだ。
「内見、明日なんだけど」
「行ってくれば」
「一緒に来ない?」
「なんで私が」
「猫の動線、見てほしい」
「猫のためなら、今の分担で十分じゃない?」
拓真がペンを止めた。黒猫は二人の緊張など知らず、彼の腕へ頭をこすりつける。
「菜緒、俺が近くに住むの嫌?」
「嫌じゃない」
「じゃあ、広い部屋が嫌?」
「家賃が無駄」
「半分出す人がいたら?」
「それ、誰」
獣医師が次の患者のカルテを閉じた。受付から「登録用紙をお願いします」と声がかかる。もう逃げられない。
「俺は猫と暮らしたいし、菜緒とも暮らしてみたい」
「順番がおかしい」
「菜緒は、猫を理由にしないと俺に会えないと思ってる?」
「だって、うまくいかなかったら、この子が困る」
「うまくいく保証がないから、始めない?」
「この二年は、うまくいってる」
拓真は用紙の〈続柄〉を空欄のまま差し出した。
「それを壊したくない」
「俺は、名前のないまま続けるほうが怖い」
菜緒は黒猫の背を撫でた。柔らかな毛の下で、小さな体温が動いている。
「猫のために、あなたが必要」
「うん」
「違う。猫のためじゃなくても、会いたい」
それだけ言って、菜緒は用紙を受け取った。
主たる飼い主の欄に自分の名を書き、二番目には拓真の名を書く。続柄には迷った末、〈共同飼育者〉と記した。
受付へ提出したあと、明日の内見予約を二名に変更する。
黒猫を入れたキャリーケースは、帰り道、二人で片方ずつ持った。